少年シニア 55歳から学ぶ理科

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№223📕現生人類の誇りと罪について

お元気ですか。少年シニアです。

時々自分はホモサピエンス(現生人類)として生まれてきたことがよかったのかどうかわからなくなることがあります。近年出版された歴史書の中で一番の名著と言われている「ホモサピエンス史」を読むと、その思いがさらに大きくなりました。この著書に記された内容にそって人類の誇りと罪について、考えてみたいと思います。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

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 著書によると、現生人類が起こした事件の中で「オーストラリアへの上陸」をあげています。現生人類がオーストラリアに上陸したのは約4万5千年前。しかしこの上陸には大きな難関がありました。インドネシア諸島からオーストラリアに上陸するためには約200㌔にわたる海を渡らなければならなかったからです。これを実現するためにはそのハードルに耐えうるだけの船とそれを円滑に動かす航海技術が必要です。

今の我々がこの当時に舞い戻ったとしたら、そんなことができたでしょうか。我々は、約4万5千年前の我々の先輩より進化した知能の高い人類と思い違いをしていますが、おそらく個人の能力では、先輩より劣っているのではないかと私は思います。我々が昔の現生人類よりも様々ことができるのは、今まで人類が積み上げてきたインフラをたやすく利用できるからです。電力が使用できず水道がなければ一部の天才やサバイバル能力に優れた一部の人間しか生き残ることはできないでしょう。事実、知能と相関関係をもつ脳の容量は、以前より小さくなったとも言われています。

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 恐らく当時の現生人類は、200㌔を越える海を渡るに耐えるしっかりとした船をつくる製造技術と、それを運用する航海技術を持っていたのです。これは凄いことです。もちろん簡単にはいかなかったでしょう。船の脆弱さや航海技術の未熟さから多くの犠牲者が出たことでしょう。でも現生人類は船に改良を加え、航海技術の腕を磨き、ついに200㌔先のオーストラリアに船で渡ることに成功したのです。

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 ただ、それだけの能力をもっていた現生人類が、それを上回る悪徳をおこすことになります。現生人類が上陸した日からそれほど長い時間をかけずに、オーストラリアにいた動物を絶滅に追い遣ったのです。当時オーストラリアには200㌔もあるジャイアントカンガルーや2.5㌧もあるウォンバットや巨大なコアラや5㍍にも達するとかげなどが棲息していたといいます。それが、現生人類の格好の餌食になりました。最初に彼らが人類に遭遇した時、自分より小さな現生人類に格別な警戒感をもたなかったでしょう。それが致命的でした。

巨大な動物を捕まえれば、何日も現生人類たちの腹を満たすので、彼らが最大のターゲットになるのです。そして巨大な生物たちは、その大きさから繁殖力が弱く(強者なので多くの子を産む必要がない),数頭の死が絶滅の道につながってしまうのです。こうしてそれまで体重が50㌔以上あったオーストラリア大陸の動物の24種のうち23種が絶滅したのです。

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 中にはこの絶滅は現生人類のせいではなく当時の気候変動によって絶滅したと考える学者もいるそうですが、大きな気候変動は何回も繰り返されており、約4万年前後だけに起きた現象ではありません。これまでもそうした大きな気候変動をオーストラリアの動物たちは何とか凌いで絶滅を逃れていました。また現生人類が上陸した後に、動物が絶滅の危機にさらされたのは、オーストラリアだけではありません。ニュージーランドや太平洋諸島、また日本列島や沖縄諸島でも同様のことが生じているのです。

先日西表島を旅しましたが、西表猫が絶滅の危機に瀕したのはご先祖さまのせいであるということをガイドの方がおっしゃっていました。昔の島民は西表猫を食用にしていたのです。

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 こういったことから著者は、動物の絶滅に関して現生人類は有罪だと断定しています。私も客観的な事実を積み上げれば、著者の考えに同意せざるえません。

現生人類は、お互いが協力しあって集団の利益を守り、器用に手を使って技術を生み出すという画期的なことをしながらも、その自己中心性と長期的な視点にたてない短絡的な思考によって、他の動物を見境なく殺し絶滅させるという罪もおかしたのです。

これって、現在もそう変わっていないのはないでしょうか。現生人類は本当の意味での賢明さを進化させていないのではないかと疑わざるをえません。

そんなわけで私は自分が現生人類に生まれたことがよかったのか悪かったのかを自問自答しながら生き続けることになってしまったのです。

 

様々な気づきを与えてくれる「ホモサピエンス史」から学んだことを、今後数回にわたってご紹介し、自分の考えも述べてみたいと思っています。