少年シニア 55歳から学ぶ理科

生命のルーツを知ることは自分を知ること。生命の不思議で人生ワクワク致しましょう!

№196📕ホモサピエンスはネアンデルタール人と交配したか

 お元気ですか、少年シニアです。

これまで我々ホモサピエンスとネアンデルタール人の接点についてみてきました。

その結果、ホモサピエンスが3万年に欧州に進出して以来、思ったほどネアンデル

タール人との接点は薄かったということが見えてきました。彼らが衝突して戦った

ことを証明するものは特に見当たりません。しかし接点が全くなかったわけではなか

ったでしょう。種は異なれど同じような姿をした彼らが同じ種の男女と考え交配した

ことも十分ありえたように思います。今回はこの点をDNAゲノムの解析から徹底的に

調査した学者が導いた結論をもとにお話を進めていきます。

ネアンデルタール人は私たちと交配した

ネアンデルタール人は私たちと交配した

 

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 以前からネアンデルタール人のDNAは現在の欧州人に何らかの影響を与えたかということは議論されていました。古生物学者の中には初期の欧州人の骨格にネアンデルタール人の形質が見られると主張する者もいました。しかし大半の学者はこの説に異論を唱えており、この著者自身も否定的でした。しかしそれを確認するためにネアンデルタール人のゲノムと現在の欧州人のゲノムとの違いとネアンデルタール人が一度も住んだことのない現在のアフリカ人のゲノムを比較して、彼らが住んでいた欧州人のゲノムに近いかどうかを検証することにしました。

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 その結果、2009年ネアンデルタール人のゲノムはアフリカ人のゲノムより非アフリカ人のゲノムと深いつながりがあるという証拠が出ました。共通ゲノムの差異があったのです。ただ面白いのはその時にネアンデルタール人が住んでいなかった中国人と欧州人のゲノムの差がほぼ同じ程度だったということでした。欧州にいたネアンデルタール人の祖先の一部が東に拠点をうつし、そのDNAをもったホモサピエンスが中国にまで移り渡っていたのでしょうか。(ネアンデルタール人版のマルコポーロと著者は表している).著者はネアンデルタール人とホモサピエンスはいずれも同時期に中東にいた時期があり、そこで一部の者が交配した可能性を指摘しています。その後、アフリカの外の全人類の祖先になったのであれば、アフリカ外の人は皆、ほぼ同じ量のネアンデルタール人のDNAをもつことになります。

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 おそらく両者が最初に出合ったのは、欧州ではなく中東だったでしょう。ネアンデルタール人は、欧州という寒いところにいたので、色白で身体もがっしりしていて、ホモサピエンスからみても脅威であるとともに、魅力的な存在だったかもしれません。また逆にネアンデルタール人にとっても、自分たちより華奢ではあるが手先が器用でコミュニケ―ション力に優れたホモサピエンスに惹かれたものがいても不思議ではなかったでしょう。そんな中で、交配するものもあらわれてきたのでしょう、

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 いずれにしても我々の中にネアンデルタール人の血がいくばくかでも混じっていると考えると楽しいですね。ネアンデルタール人のゲノムの解析は容易なことではなくその信憑性がくずれれば、結論は完全にくつがえってしまいます。著者のグループはその困難な作業をやってのけました。真実を追求する学者の執念というのは、すごいものだなと本書を読んであらためて感心した次第です。

 

 

 

№195📕イヌを味方にして生き延びたホモサピエンス

 お元気ですか 少年シニアです。この数回ホモサピエンスの生き残りとネアンデル

タール人の絶滅の要因について話をしてきましたが、今回は気候変動にとどまらず、

また違った視点で、それらを考察したいと思います。

ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた

ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた

 

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  ネアンデルタール人とホモサピエンスの差は具体的にいうと何だったのでしょうか。体格的にはネアンデルタール人の方がホモサピエンスを上回りました。体重は1割以上ネアンデルタール人が上回っていたとも言われています。筋肉質でがっしりした形で、1対1で戦えばおそらくネアンデルタール人の方が強かったでしょう。それに加え脳の容量も100㏄ほどネアンデルタール人の方が大きく知力もホモサピエンスに劣らなかったという学者もいます。

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 ただ、一方でその身体の大きさがネアンデルタール人にとって不利になったとも言われています。身体の大きさを維持するためにホモサピエンスよいも高い基礎代謝を必要だからです。特に寒冷期においては高いカロリーの確保が重要でした。寒冷地帯の生活は温帯の生活よりも毎日1200㌔カロリー余分にエネルギーが必要となるのです。

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約3万9千年前 ナポリ近郊で大規模な火山噴火があり、欧州の大半が火山灰に覆われ寒冷化が加速しました。そのあたりからネアンデルタール人の不運がはじまったようです。まずこの寒冷化でネアンデルタール人が捕食していた動物の数が激変しました。しかしネアンデルタール人が生残るためには、その身体を維持するために大量のカロリーを摂取しなければなりません。髙カロリーは保つためには肉が一番ですが、その肉が不足しているのです。ネアンデルタール人は、より狩りの精度をあげて肉を補充するか、あまり動かないでエネルギーの消費量を減らすか、比較的温暖な南部に移動するかしか選択の道はなくなったのです。しかしこのようなことでネアンデルタール人の人口が増加するわけはありません。人口の激変がここから一気に加速していくのです。

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 一方身体が一回り小さなホモサピエンスはネアンデルタール人よりもエネルギーの摂取量が少なくてすみました。また彼らは弓矢を開発してエネルギーをあまり消費せずに獲物を獲得する技術を身につけ狩猟効率を高めていきました。

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そのうえ、ホモサピエンスは単独ではなく犬を家畜化することに成功しました。イヌは狩りをする際の絶好のパートナーでした。多くの犬でマンモスを追い詰めたところを人がとどめをさすということもあったのかもしれません。イヌは獲物の死体を他の競合者から見張る役目もしたでしょう

いずれにしてもイヌの手助けによって髙カロリーの肉をより速く少ない労力で獲得することができたのです。ヒトとの協力関係はイヌにとっても大きな恩恵をもたらしました。ヒトからその協力費として獲物の肉の一部を与えられたうえに、イヌを狙う他の大型動物からヒトによって守られることができたのです。

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 しかしネアンデルタール人の狩りは仲間同士の連携に限られ、仲間の数も減っていく中でより狩猟にかかるエネルギーは高くなったでしょう。イヌとの連携という手段をあみだしたホモサピエンス。単独の狩りにとどまったネアンデルタール人。この差が彼らのその後の運命を大きく左右したのです。

 

№194📕最期のネアンデルタール人の想い

お元気ですか。少年シニアです。前回ネアンデルタール人が絶滅したのは、ホモサピエンスとの競争に敗れたのではなく、大幅な気候変動により北部から南部のイベリア半島に住む場所を限定させられたことで人口が大幅に減少し、寒さと食糧難の中で絶滅していったと記しました。ネアンデルタール人の中には北部から離れない者もいましたが、イベリア半島に南下した者たちよりも2000年前に絶滅を余儀なくされたと言います。

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 イベリア半島は予想以上に気候変動の影響を受けず、草食動物やそれを狙う捕食者もいて住居として構えるのにはそう悪い地ではなかったようです。でも5万年前から3万年前におきた急激な寒冷化により大幅に人口が減少してしまいました。絶滅がさけられない状況になって最後にのこったネアンデルタール人は何を思ったでしょうか。ここからは私の勝手な想像による彼女の想いを代弁?してみたいと思います。

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 私(仮称アナ)は、いま住まいの洞窟から約5㌔離れたジブラルタル海峡が見える海を眺めて物想いにふけっている。というのも唯一の話し相手だったおない年のセベリアが食糧難と過去からの蓄積疲労で18歳のその生涯をとじたのだ。もう私には話相手がいない。2年前に母と父をなくし、その後洞窟で生きていた人たちも寒冷化によって体力をおとし、次々と亡くなったのだ。そして今年は私とセビリアだけの2人きりになってしまった。しかしそのセべリアもなくなり私は天涯孤独の身となった。

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 寒冷化の際に南下せず北部にもとどまった仲間もいたらしいが、噂によればもう2000年前に絶滅したらしい。だからこの地こそが最期の砦なのだ。確かにこの地での洞窟の生活は厳しいが、ウサギやカメ、アイベックスなど比較的狩りやすい草食動物がいた。また海も近かったので海岸まで出て貝を食べることもできた。もちろん果実や地下茎など植物にも広げて飢えをしのいでいた。運がよければ、海岸に打ち上げられたイルカやアザラシの死体をあさる恩恵も受けた。

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 しかし2万年前(今から5万年前)におきた世界的な寒冷化は、この地にも何らかの影響を与え我々の仲間はその寒さに対応できず死んでいった者も多かった。一人一人姿を消して数千人もいた仲間たちも、一人 また一人となくなっていき種を保存する最低のライン人数を割ってしまい、ついには気が付けば私とセビリアの二人だけになってしまった。種の保存のためには生殖が必要だが二人とも若すぎてそれは数年先のことだろうとタカをくくっていた。しかし遅かった。セビリアが死んでしまった今子孫はここで耐えてしまったからだ。こどもの時はよくおばあちゃんにここは我々のご先祖がこの地にたどりついたときは天国だったと聞かされた。世界的な寒冷化の影響を受けることも少なく、食糧にもめぐまれていたという。しかし私がいる今(約3万年)は、天国とはいいがたい。セビリアが亡くなり生活のすべてを自分一人で乗り越えていかなければならない。しかし、それはかなり大変なことだろう。私の命ももう長くはないだろう。

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 これから孤独に耐えられなくなったら、この海に来て、ご先祖様が生きていたアフリカ大陸に目をやって、穏やかな気持ちで死を受け入れようと思っている。わたし達のいとこにあたるホモサピエンスと会うことは一度もなかったが、同じ親戚として何とか智慧と度胸でこの寒冷化した地球で彼らには生き残ってほしいと願っている。何せわれわれより組織力が強くて智慧もあるようなので生き延びることは不可能ではないだろう。ただホモサピエンスとて自然には勝てない。我々の絶滅も自然の意志なのであれば、素直にこの事実を受け止めるしかないだろうし、ホモサピエンスも自然を軽く考えれば、我々と同様の運命をたどることになるだろう。

 いずれにしてもこの状況の中でご先祖様の加護により50万年生き延びたネアンデルタール人の一人として最後まで生きたことを誇りに思っている。

 

№193📕なぜ我々が生残りネアンデルタール人は絶滅したか

 お元気ですか。少年シニアです。

前回これまで不当に評価されていたネアンデルタール人が我々が思った以上に能力があることにふれました。それでもネアンデルタール人は絶滅し、我々ホモサピエンスは生き残りました。その差は何だったのでしょうか。

 

そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史

そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史

 

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 我々ホモサピエンスが今も生き残っている大きな要因として約8万年前に故郷のアフリカを出て世界の各地に拡散するものがあらわれたことにあるのは間違いありません。移動ルートとしては諸説ありますが、現在のソマリアから紅海を渡ってアラビア半島にはいり中近東を拠点としてそこにとどまった者、さらにユーラシア大陸を横断した者、海岸線をつたってインドからインドネシア、さらにオーストラリアにまで到った者、また中国から北上しシベリアからべ―リング海峡が氷期になってとざされた時に北米大陸にはいり、さらに南下して南米にまでたどりいた者、そしてここで大陸としての移動の旅は終焉しました。

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 そこで疑問が生じます。どうしていったん中近東を拠点としたホモサピエンスが東だけに向かい、目の前にある西の欧州に向かわなかったのでしょうか。ホモサピエンスがオーストラリアにたどりついたのが、約4.6~5万年前と言われています。ところが欧州に入ったのはその1万年後の3.5~4万年前とそれよりかなり遅いのです。

気候的な面で比較的寒冷な欧州を避けたのでしょうか。ただ、極寒の地シベリアにまで向かったホモサピエンスが欧州の寒さごときにおじけついたとは思えません。

それは、欧州にホモサピエンスの進出を妨げる物理的なものがあった。ずばりネアンデルタール人という強力な先住民がいたからではないでしょうか。ネアンデルタール人に遭遇したホモサピエンスはその能力におびえ、彼らのいない東に移動ルートをとったとは言えないでしょうか。

優秀なホモサピエンスは能力の劣るネアンデルタール人との生存競争に直接対決で打ち負かしたという定説はどうもあやしくなってきました。

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 ネアンデルタール人の不幸は欧州というエリアに依存しすぎたということでしょう。氷期になって南下しイベリア半島にたどりついた時、人口はかなり減少し、さらに徐々に人口を減らすこととなり絶滅しました。しかしホモサピエンスは世界に拡散することで気候変動の対応能力を身につけ、人口を拡大させていきました。その点が彼らの運命を左右したのです。

 

 次回は当時の当時の気候変動状況にもう少しアプローチし、ネアンデルタール人存がどう生き延びようとしたのか、またネアンデルタール人の終末の様子について考察したいとおもいます。

 

 

 

 

 

 

№192📕 再評価著しいネアンデルタール人

 

お元気ですか。少年シニアです。

今回は、ホモサピエンスに遭遇する約2万年前(約6万5千年前)に洞窟に手形など簡単なものではあるけれど、顔料を用いて絵を描いていたネアンデルタール人のお話しです。今、ネアンデルタール人の評価はうなぎのぼりになっています。しかしそれまではそうではありませんでした。

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ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスの最も関係の近い近縁者です。

ネアンデルタール人とホモサピエンスが分岐したのは約8万5千年前頃とされています。1856年ネアンデルタール渓谷から人骨が出てきた時は、誇り高き欧州人は、やはり他の動物とは異なる知能をもった人間のふるさとは欧州だったと歓迎していましたが、その後20世紀初頭に、同様の人骨が出てきて彼の外見が予測されるようになると、一点かなり懐疑をもってみられるようになりました。というのも低い脳頭骨や発達した眼髙上隆起などの原始的な特徴がみられ、お世辞にも現在の人間らしさは感じられない醜い姿であることが明確になってきたからでした

ネアンデルタール人頭蓋骨

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⇩ホモサピエンス(クロマニョン人)頭蓋骨

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脳の容量は1600㏄と今のホモサピエンスを1割程度大きく体重も1割程度大きくがっしりした体型をしていましたが、粗野で野蛮なイメージがつきまとってしまい、ホモサピエンスが欧州に進出するとみるみるうちに数を減らし絶滅していったことからも、身体は大きいが低能な人種だと低い評価が定着するようになってしまったのです。

 

ネアンデルタール人 奇跡の再発見 (朝日選書)

ネアンデルタール人 奇跡の再発見 (朝日選書)

 
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しかし、冒頭でもふれたようにネアンデルタール人は、ホモサピエンスが欧州に入ってくる前から、芸術的なセンスをもっており、確かにホモサピエンスよりは知能とコミュニケション力は劣るものの、そんなには大きな差がなかったことが近年明らかになってきたのです。
ネアンデルタール人は欧州のみならず中東地区にも分布していたといわれています。彼らはそんな中で、野馬やシカ、トナカイ、オーロックなどの大型陸上動物を狩っていましたが、これらの大型動物を狩るためには、仲間同士のコミュニケーションを円滑に行う必要があります。
ただ、発話能力に欠けるためそんなに狩猟能力は高くなったともいわれています。
ただこちらも、ネアンデルタール人はその外形から細かなニュアンスの声を出すことはできないといわれていましたが、イスラエルで初めて発掘された舌骨の形態は我々とそんなに差異はなく、思っていたより発話能力があり狩猟能力もそれほど低くなかったのではないかという評価が新たに出てきています。
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ただ一方で、ネアンデルタール人がホモサピエンスのように今まで生き抜くことができず、約3~4万年前に絶滅したことは事実です。ホモサピエンスがアフリカを出て欧州にたどりついたのが6万5千年前と言われていますから、ともに共存していたのは約2万から2万5千年ぐらいということになります。この期間にかれらの間にどんなドラマがあったのか、ネアンデルタール人の絶滅にホモサピエンスはどの程度関与していたのか、また交配関係はあったのか、そのあたりを次回からお伝えしたいと思います。
 

 

№191 北京原人の虜になったフランスの神父

  お元気ですか。少年シニアです。

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 北京原人は人類の起源を知るうえで特別な存在です。北京原人の発見は1929年ですが、その数年前から動物の化石やヒトの歯らしき化石が出てきて、北京の周口店あたりに我々の祖先の頭蓋骨の化石が出てくるのでないかと中国をはじめアメリカやカナダ、スエ―デンなどが資金を投入して発掘プロジェクトをたちあげていました。まだアフリカでアウストラロピテクスの化石も発見されていなかったころで、⒚世紀後半にインドネシアジャワ原人の化石が出ていたので、当時は人類の起源は中国も含めアジアが有力とされていたのです。

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 そのプロジェクトにイエズス会のティヤールドシャルダンというフランス人の神父が参加していた事を「神父と頭蓋骨」と本を読んで知って大変驚きました。彼は神への強い信仰をもちながらも少年時代から生命の起源や古生物学に強い興味をもっていました。そしてダーウィンの進化論も支持していました。しかしそのためイエズス会の幹部に疎まれ本部の命により流刑のような形で中国に送られてしまいました。彼は深い悲しみをもって中国に行きましたが、皮肉にもそのことが北京原人へのプロジェクトメンバーの参加につながったのです、逆にイエズス会は進化論を広める力をそぐどころか図らずもヒトの血統の証明に最大の貢献できるところにティヤールを送ってしまったのです。

 

神父と頭蓋骨

神父と頭蓋骨

 

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 1923年、中国に到着したティヤールは布教活動をしながらも、中国地質調査所と接点をもってその後,北京原人の発見に大きな役割を果たしたブラック(カナダ)アンデンジェン(スエ―デン)ペイツェンチョン(中国)と出会い交流するようになりました。この出会いが、その後の彼の人生を変えていくことになります。

ティアール自身、これも古生物に興味をもっていた神父仲間とモンゴルに遠征し道具として用いるために折られた巨大な鹿の角を見つけ、こんな人里離れたところに人類が居住していたことに幸福感を感じました。こうした古生物学者との交流や遠征を通じて信仰と科学と自然は彼の中でしっかりと絡み合って独自の神秘思想をつくりだしていき、それを世に広めていくことが自分自身の使命だと感じるようになりました。

彼はそうした持論を論文にし、その出版および母国のフランスに帰国することを希望しましたが、イエズス会は帰国は認めつつも出版は頑なに認めず、一旦帰国するもまた中国に戻されました。ただ、これにより再び本格的な北京原人の発掘調査の活動に加わるようになりました。

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 1927年ついにヒトのようなものの歯が見つかりティアールも古脊髄動物学の名誉顧問を依頼され快諾しました。そして1929年、ティアールは今後の発掘計画にも参画しし、大変な苦労のうえ、発掘の実質的なリーダーであるペイツェンチョン保存状態のいいヒトの頭蓋骨化石を見つけました。

ティアールはそれが見つかった層の地質年代を特定してこの頭蓋骨の年代を推定する仕事をサポートし、彼らが用いられたとおぼしき石器を分析し彼らが火を使っていた最も重要な結論をも導き出しました。

その後も次々と北京原人の化石がでてきて北京原人は67万年前~41万年前の間に龍骨山で暮らしていたこともわかってきました。北京原人の身長は男で約155㌢ 女で約145㌢でアウストラロピテクスより高めでした。哺乳動物や鳥・魚・カエル・草の実など雑食性で火でもやして食べていたようですが、道具はネアンデルタール人ほど高度のものではなかったようです、脳の容量は約900㏄でものすごく頭がよかったわけではなかったが、すごく馬鹿でもなかったようです。

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 ティアールは、これより以前に発見されたジャワ原人北京原人は同一の種に属していると考えていまいしたが、これは大きな論争を呼びました。今はティアールが主張したように同じホモエレクトスというふうに結論づけられています。

いずれにしてもティアール自身は、ダーウィンの進化論を支持しつつ、ヒトにあっては思考・認知・意識という複雑な要素をもち本能に従う他の哺乳類とはことなるもので、生物圏をこえた精神圏をもった特別な存在であるものと考え、その意味で神への信仰と科学は決して対立したものではないと考えたのでした。

神父の出版物は最後までイエズス会に拒否されましたが、原稿を友人に譲っていて、その友人はイエズス会ではなかったのでイエズス会は出版を拒否できず、遂にフランスのみならず他国にも出版され、ティアールの信仰と科学の融合は可能であるという自説を世に送り出すことに成功しまいた。

いずれにしても人類の起源を明らかにする北京原人の発掘作業に欧州の神父が重要な立場で参加していたことを初めて知り。真実を知る欲求は国籍や職業の枠をこえたものであり、それが人間の業であることを改めて感じた次第です.

№190📕中国まで進出していたホモエレクトス

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お元気ですか。少年シニアです、前回ネアンデルタール人の祖先と言われるホモハイデルベルゲンシスについて触れました。彼らと同時期に中国に棲息したヒト属がいました。北京原人です。北京原人の歯の化石が発掘されたのが1921年。頭蓋骨の化石がでてきたのが1929年。約67~77万年前から生息しいたとされています。

アフリカを出て中東にむかったホモエレクトスの中で欧州にむかったハイデルベルゲン

シスに対し北京原人の祖先は東に経路をとり中国にむかったのです。

 

北京原人物語

北京原人物語

 

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北京原人の脳の推定容積量は約1000㏄(現在の人間の約7割程度)。現在のアジア人に頻繁にみられる切り歯がホモサピエンスへの進化上の連続性を示唆しています。頭蓋が分厚くて横顔は平に広がっているのが特徴と言われています。

火を使用し狩りだけでなく死肉を火によって柔らかくして食べていたようです、石器技術は未熟だったようです。

北京原人の絶滅は約30万年前、気候の寒冷化が原因と言われています。

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なお、当時発掘された北京原人の化石は、いまゆくえ不明で見つかっていません。その背景には日中戦争があり、日本人に見つかり日本に送られ。今も日本にあるという説や米軍の海兵隊員が奪い去ったという説もあり、いまだに明らかになっていません、このことが北京原人のさらなる研究が進捗しない大きな要因になっています。

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北京原人の1934年に発見に先立ちジャワでホモエレクトスのジャワ原人が発見され、その後、北京原人が発見、さらに1934年ヒト科の化石がジャワで再発見さたれたこともあり、20世紀前半ではヒトの起源はアジアであるという説が有力でした。その後、アウストラロピテクスの発見・ラミダス原人の発見などでヒトの起源はアフリカであることが明らかになってきましたが、それでも今でもヒトはアフリカだけでなく多地域で各々進化していったと考える学者もいます。

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 さて、この北京原人の発見に携わった者の中に欧州から古生物に通じた神父が関与していました。カトリックの神父でありながらダーウィンの進化論に共鳴していたため中国に飛ばされたのです。次回は、その神父の北京原人の発見にかけた話を紹介しながら北京原人が登場してきた意義について考えてみたいと思います。

 

 

№189📕欧州へむかった原人「ホモハイデルベルゲンシス」

お元気ですか。少年シニアです。別ブログの「自由形で生きる」でも触れましたがこの7か月心身のバランスをくずしブログもお休みしていましたが、ようやく快復したので再びブログを再開することにしました。

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前回はホモエレクトスのアフリカ脱出について触れました。彼らは中国で北京原人となりインドネシアジャワ原人となって逞しく行きます。それではヨーロッパに移動したものはどんなものたちだったのでしょうか。今、洞窟から絵が発見され予想以上に人間に近かったと注目されているネアンデルタール人は、ヨーロッパを本拠地に30万年前に存在し約3万年に絶滅したといわれています。今回はそのネアンデルタール人の祖先と言われている「ホモハイデルベルゲンシスについてご紹介しましょう。

 

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 ホモハイデルベルゲンシスは、一言で言えばユーラシアとアフリカに散らばったホモエレクトスのうち最後まで生きのびホモサピエンスを生みだした人類です。1907年ドイツのハイデルベルグで発見されました。彼らは文化的にも進んだ種族でフランスのニースに近くで見つかった約40万年の遺跡には楕円形の建造物のあとがいくつも残されています。建築物の内部には炉の跡も見つかっていてここで日常的に食事をしていたと思われます。狩猟活動では自分たちの身長より長い大型の槍を使って鹿や像などの大型動物を狩っていたようです。

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 ホモハイデルベルゲンシスの引っ込んだ顔や盛り上がった頭頂部などは彼らがこの後、ネアンデルタール人を生みだしたことを強く示唆していますが、他方脳容積は1400㏄とほぼホモサピエンスと同様の大きさをもっています。

ただ、通説ではハイデルベルゲンシスをヨーロッパで発見された化石人類の名前としこれがネアンデルタール人を進化したものとする一方で、アフリカで発見された化石人類をローでシエンシスと呼んでホモサピエンスの祖先とする見方が有力視されています。

ホモハイデルベルゲンシスは、一般的に知名度が低く謎の多い種ですが、ネアンデルタール人とホモアピエンスの関係を明らかにするうえで、大きなヒントが隠されているような気がしてなりません。

№188📕人類の旅の行方について

 お元気ですか。少年シニアです

すべての人類はアフリカで誕生し進化しましたが、人類は決してアフリカ大陸にのみ

留まることはありませんでした。我々ホモサピエンスの先祖は約10万年ほど前にアフ

リカ大陸を出て世界中に移動し現在に到ってるわけですが、実はアフリカをとび出し

たのは我々ホモさピエンスの先祖が初めてではありませんでした。

約180万年前に、ホモエレクトスの先祖たちがアフリカ大陸からユーラシア大陸

移動していたのです。

人類大移動 アフリカからイースター島へ (朝日選書)

人類大移動 アフリカからイースター島へ (朝日選書)

 

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 先のブログで人類が偉大なる長距離移動者であったことをお伝えしました。2足歩行による移動効率は4足歩行より格段に優れており、この長所を初期人類たちは自らの生存に大いに生かしたことでしょう。おそらく人類の移動を促したのは好奇心というより気候変動による圧力だと思われます。気候変動こそがすべての生命の運命を握っているのは今と変わりはありません。肉食化した一部の人類は、生命を維持するために気候変動により乾燥地帯から移動する草食動物たちを追ってアフリカ大陸を後にします。

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   生き物というのは基本的には保守的な存在であり、特にリスクをおかす必要がなければ生命に不利益なことはしないと私は思います。ですからアフリカから飛び出すには相当の理由があったはずです。注目すべきは、グルジアのドマニシ村の約180万年前の地層から発見された初期人類の化石です。その近くからはダチョウやオカピなどアフリカ原産の動物の骨の化石もでてきたといいます。やはりこれらの動物をおって、この地まで辿り着いたのでしょう。

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 そして驚くべきはその脳の推定容量が約650~750ccと、従来のホモエレクトスのそれ(約800~900㏄)より小さかったことです。この化石が発見されるまでは、約100万年ほど前にもっと脳の容量が大きく高度な知能をもった人類がアフリカを飛び出したと考えられていました。高度な知能がなければ未開の地で生き抜くことは容易ではないと考えられていたからです。ところが実際は予想以上に早い段階でまだ知能が未発達の状態で移動していたのです。

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さらに驚くべきは、その後同地域で発見された遺骨を調べたところ、この遺骨の主が歯を失ってから相当な期間を生きぬいてきたという形跡があったことでした。通常、歯を失えばそれは死を意味します。食糧を噛み砕いて消化することができないからです。ではなぜ彼は相当期間生き延びることができたのか。

ひょっとしたら他の誰かが石器や火を使って食物を小さく砕き、柔らかくして、この遺骨の主に食べさせていたのではないかという仮説が専門家の間から唱えられました。介護の歴史の始まりを示唆する仮説です。

もしこの仮説が事実だとすると未発達な状態の身体に比べ、社会性や精神性については予想以上に進化していたことになります。

まさに人類の進化は一本道ではなく謎は深まるばかりです。新しい事実が明らかになるにつれて、より新たな謎が我々を迷わせる。人類はどこからきてどこへ向かおうとしているのかを明らかにするのは、ほんとうに容易ではありません。

 

 

 

 

 

№187📕人類進化と火・料理について

お元気ですか。少年シニアです。

前回、肉食によるヒトの脳の拡大についてふれましたが、本書の著者ランガス氏は

生肉ではそれだけの進化は望めず、火を使った料理こそがホモエレクトスの身体的

な躍進をうながしたという仮説を提示しています。

火の賜物―ヒトは料理で進化した

火の賜物―ヒトは料理で進化した

 

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 実は人類の祖先がいつから火を利用するようになったか、また食べ物に火を通すようになったかは明らかになっていません。洞窟などの炉の跡から25万年前には我々ホモサピエンスや親戚のネアンデルタール人が火を使っていたことが明らかだそうですが、それ以前となると諸説ありオーソライズされていません。そんな中、本書の著者のランガム氏は一気に200万年前まで遡って、最初のホモ属と言われているホモハビリスがホモエレクトスとして進化していくその原動力は火の使用であり料理であるとしました。

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 ホモエレクトスの身長は約160㌢、体重は50~60㌔。アウストラロピティクスより2周りも身体が大型化し脳の容量も現生人類の約7割にまで達していました。こうした身体の劇的な成長は、単なる肉食だけでは説明できず火を通すことでしか実現できないとランガムは主張するのです。生食だけでは必要なカロリーを得ることができても、身体を大きくすることはできないという実験データもしめしています。

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 食物に火を通すことの最大のメリットは、食物を柔らかくすることで消化を助けることにあります。家畜などの餌も調理済みのものを与えると早く身体が大きくなるそうです。消化しやすい食べ物は当然ながら消化器の負担を減らすので、人類は進化の過程でどんどん消化器を小型化・簡素化でき、その分を脳や身体の大型化に投資することができたというのです。

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 また肉だけでなく、肉と併せて食べていた植物についても、生ではなく火を通していたとランガム氏は主張しています。化石の比較からホモエレクトスの臼歯の表面積はホモハビリスのそれに比べ約2割小さくなっており、これも植物を火を通して食べたことによって大きな臼歯をもつ必要性が薄れたからだとしています。さらに火を通すことで食物に含まれる毒素を弱め食物の安全性を高めたことでしょう。

あの天才レオナルドダヴィンチも健康を維持するためには、よく噛みよく火の通った簡素なものを食べることだと言っています。また進化論を唱えたダーウィンも火の活用は、言語の発明を除けば人類最大の偉大な発明と言っているのも、こうした火の徳用をしっかり認識していたからでしょう。

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 そして火の効用は料理に留まりませんでした。木から降りた人類にとって火は肉食獣から身を守る安全装置となったことでしょう。また長距離走行を可能とした体毛の減少は逆に耐寒性を弱めましたが、それも火をおこすことで暖をとり解消できたでしょう。著者の主張は、十分な裏付けがあるとは言えず一つの仮説の域を越えるものではありませんが、最初に森林の中で自然的に火が発生したとき、われわれの祖先は恐れおののきながらも一方でこれは使えるぞという閃きをもった者がいて、そのことが人類の躍進に大きく貢献したことは間違いないでしょう。