少年シニア 55歳から学ぶ理科

生命のルーツを知ることは自分を知ること。生命の不思議で人生ワクワク致しましょう!

№230📕人間至上主義の誕生

お元気ですか。少年シニアです。

前回、神になろうとするホモ・デウスについて紹介しました。その昔、人類は自ら神という存在をつくりあげ、自分たちの解決できない問題や、わからないこと不条理なことは神の御心にその判断を委ねることで、心の平安と生きる意味を保持しようとしました。しかし、ニーチェが「神は死んだ」と言ったように、科学の発展や、科学をベースとした技術の進展により、神はその座を譲りました。正体不明の病気になった者は、神に祈るより最新の医療技術をもった病院を訪れるようになりました。

 

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

 

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 しかし、身体の管理は委ねても心の管理という問題があります。人類は生きる意味がなければ生きていけないやっかいな生物だからです。あらたな科学的な発見や応用は、生きる意味を至上課題とする人たちからみれば脅威です。科学は、客観的なデータを用意して人類は神から特別に優遇された存在ではなく、猿から進化した動物のひとつに過ぎないことを証明するからです。

 ただ人類はなかなかしたたかです。神にかわって人類は、科学・技術をベースにしながら「人間至上主義」という新たなイデオロギーをうちたてることで、生きる意味の滅亡を防ぎました。ルネッサンス万歳、芸術万歳、愛情と友情万歳、自由万歳、人類コミュニティー万歳 このようなスローガンをもとに人類は、神からの束縛をのがれ新たな世界の構築にむけて進みだしました。

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 チャップリンは「モダン・タイムス」で機械に職を奪われたり想像力や自由意志を奪われていく人間の悲劇を喜劇によって描き、多くの人々から賞賛されました。それは人間がまだ人間性を失っていなかったこととあわせて、その科学技術がこれから到来するであろうAIやバイオテクノロジーのレベルにまで達していなかったからかもしれません。そんなこともあって機械を動かすのは人間であるだけではなく、単純作業ではない創造的な仕事や豊かな経験に基づく判断業務は、機械にはできず、機械を管理統制できる人間こそが最も優れた存在であると考えるようになりました。

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 もう以前の神の世界へ戻ることはありません。それまで様々な判断を神の意志に委ねていた人間は、ルソーのいう「内なる自分の声」、いいかえれば人間性に基づいて判断するようになりました。人間の最大の関心事である「人生の目的」も、以前のように教会や伝統的な社会規範から与えられるのではなく、本人の自由意志に基づいて判断するようになりました。

いやその領域を越えて無目的に活動する宇宙の目的さえも人間が設定できることができる。人間は失いかけていた目的を再度手にすることに成功した・・・こうした人間至上主義が新たな規範として世界中に流布し新たなステージに人類はたったと、「ホモ・デウス」の著者ノア・ハラリは指摘したのです。

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 しかし、神の世界が宗祖が亡くなり時の経過とともに分派していくように、この「人間至上主義」というイデオロギーも分派していきます。そして「ホモ・デウス」の筆者ノア・ハラリは、西洋を中心に発展した「自由主義的人間至上主義」、ロシアや中国を中心に発展した「社会主義的人間至上主義」、ナチなどのファシズムとして発展した「進化論的な人間至上主義」の大きく3つに分派され、その違いによる軋轢が人間に新たな試練を与えたことを指摘しました。

 

その話はまた次回に

 

 

№229📕神を目指すホモ・デウスという新種

お元気ですか。少年シニアです。ホモ・サピエンス史で、これまでの歴史とその歴史を動かしてきたエンジンを語ったノア・ハラリは次作「ホモ・デウス」で、人類の未来の予測を試みました。「デウス」は神。つまり人類の未来は、神への接近とその実現にあるという大胆な予測をしたのです。

 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

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 いきなり冒頭から紀元後3000年の世界が提示されます。その世界は、飢餓・疫病・戦争がほぼなくなった平和で快適な世界です。人類は、これまで人類を苦しめてきた三大厄災の問題を解決したというのです。この兆候は、産業革命後に起きた科学技術の進歩によって起き出し、21世紀から進展したAI技術の進展により加速していくとするのです。すでに現在では飢饉で亡くなる人の数よりも飽食によって命を失う人が多くなり、戦争で亡くなる人よりも自殺によって亡くなる人が多くなっていることをあげ、部分的には様々な問題があるにせよ、大きな流れとしては飢餓・疫病・戦争という三大悲劇は減少の方向に向かっていることを指摘しています。

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 そして、そうした問題も、以前のように神に祈りを捧げて神任せにするのではなく、自分たちの力によって制御と解決が可能な世界に移行したとするのです。しかし、一方で成功はさらなる野心を生みます。そして人類は大胆な目標をもつに到る。その大胆な目標とは何か。それは飢餓・疫病・戦争の除去といった不幸を取り除くといった受身的な課題ではない。つまり人類は幸せへの獲得へと課題を格上げする。それは不死も含む神業への挑戦への移行を目指すだろうと著者は言うのです。

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 ただ、これは著者ノア・ハラリの願望や期待ではなく、またそうあるべきということではなく、ホモ・サピエンスのあくなき欲望を充たそうとする業を考えたとき、そうした目標を設定するだろうという予測であることを理解しておかなければなりません。むしろノア・ハラリ個人としては、そうした流れに危惧をもっていることが、その後読み進めていくと理解できます。

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 こうした更なる欲望の追究を目指す人間の業に気づき警鐘を鳴らし、これを防ごうとしたホモ・サピエンスが2500年前にすでにいました。ゴーダマ・ブッタです。彼は非常に謙虚でした。生老病死という四苦だけは何人とも逃れることはできない。

ただ生きている間に苦を減らすことは可能である。それは欲望の渦をたちきり、正しい行いをすることだと説いたのです。私はこの教えにほぼ100%同意します。ただ俗人の私には欲望の渦を完全に断ち切ることはできない、ただ抑制することは可能かもしれないと思っていますが・・・。

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 いずれにしても神の領域に接近しようとする人類はもはや対処療法で生き抜いてきたホモ・サピエンスとは呼べない。それを著者はホモ・デウスと名付けたのです。ホモ・デウスホモ・サピエンスの中でも特別秀でた賢者であるゴータマ・ブッタの教えに異議を唱え、さらなる欲望を喚起させることで、さらなる富を生み出し、不老不死幸福の獲得を目指します。いったいどちらの言い分が正しいのでしょうか。それともどちらの言い分も不完全で、本当のところはまた違った真理に基づく別の歩むべき道があるのでしょうか。

 

次回、さらに著者の未来予測・分析結果を追っていきましょう。

 

№228📕資本主義支配は今も形を変え残る

お元気ですか 少年シニアです。「成長」を前提とする資本主義というシステムによって、つねに市場を拡大させることが帝国の最重要課題となりました。その課題を解決すべくそのシステムを誕生させた欧州の強国は、航海技術を駆使して海を渡りその覇権を「教会」とのセットで、アジア・アフリカ・アメリカ・オセアニアへとで進出していきました。しかし、その時代も第二次世界大戦という多大な損失によって終焉をむかえます。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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 先日スリランカを旅したのですが、その苦難の歴史をガイドさんに教えて頂きました。最も苦難の時期は、欧州に支配された450年間だったと言います。まず大航海時代、1505年にポルトガルの侵攻を受けて海岸地域が奪われました。その後、支配権はオランダに移りますが、支配されたエリアは貿易の拠点である海岸地域に限定されていました。スリランカの人々は山間部に移り、一致団結し山間部への侵攻を阻止し釈迦の歯を含む仏教に欠かせない物品を守りました。

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 しかし、オランダを駆逐してスリランカの実権を握った大英帝国は、山間部にも侵攻し、スリランカの人々が必死で守ろうとした先のものを力で奪いました。その軍隊の構成員の大半はこれも力で奪ったアフリカの奴隷たちだったそうです。そして海外進出のもう一つのセットである教会が入り込み、多くのスリランカ人が信仰していた仏教からキリスト教への改宗を迫ったと言います。物という見える財産を略奪するだけでなく信仰という心の財産をも奪おうとしたのです。

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 ただ、力による強引な支配は、誰も得をしないということをようやく理解した二次世界大戦の戦勝国は、新たな秩序(国際連合の創設など)を創り出し、スリランカは再びスリランカ人の手に戻りました。

 英国と言えば、19世紀末中国が清王朝だった時代に、アヘンを売りつけていた商人側の味方をし、これを阻止しようとした清に戦争をしかけるという飛んでもない行動に出ました。私は学校でこのことを知ったとき、どうして政府側が悪の商人側の味方をするのか理解できませんでした。でも今は理解できます。大英帝国のエンジンは資本主義であり、その資本主義を駆使して帝国にも財をもたらす商人をきることはできなかったのです。

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 英国は今も昔の愚を繰り返しているように見えます。欧州の覇権を敗戦国のドイツに握られ癪にさわるのでしょうか。ある英国の老人がEU離脱は当然であると言い、EUを離脱しても英国は大丈夫だと断言していました。その理由を問われると、「英国は昔から偉大であり、今も偉大であるから」と断言しました。まだ、このような考えが英国に残っているのは少々憐れです。

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 いずれにしても各国は軍事力によって資本主義を維持することは、不可能だと気付きました。ただ、だからと言って資本主義が衰退し他のシステムによって、その座を失うことはありませんでした。資本主義から得た資本を再投資することで成長を促し、資本主義を維持するスタイルに転換しただけです。

皮肉なことにアジアに侵攻した欧州諸国の現在の経済は、アジアの国々(特に中国やインドの)の経済成長に支えられています。英国を含む欧州各国が中国の習近平氏の顔色をうかがい、手厚くおもてなしをしているのは歴史の皮肉といえます。そして表向きは共産主義国家の中国も、資本主義を導入し市場の動向に一喜一憂しているのも歴史の皮肉です。

 

 ただ、この資本主義もいつか行き詰るでしょう。未来は明るいのでしょうか。ホモサピエンス史を書いたノア・ハラリ氏は、次なる著書「ホモ・デウス」で未来の予測を書き記しました。次回からは「ホモ・デウス」から我々の未来について考察することにします。

№227📕成長を前提とした資本主義の後押し

お元気ですか。少年シニアです。

欧州の世界制覇には帝国の存在と教会の連携があり、それを可能にしていたのは科学をベースとした技術であったことは前回ふれました。しかし、それだけではこのような大規模な海外への進出は困難でした。それは、資本主義というこれまでにない得体のしれないシステムであり、このシステムによって莫大な利益を得た大商人たちが、帝国の野望を支え、自らの野心を満たしたのでした。

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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  これは、明治政府が富国強兵と殖産興業を合言葉に東アジアに進出したのと同じです。政府は民間払い下げをして、ときの三菱や三井といった豪商が関与し、莫大な利益を得ていたのと同じ構造であり、それを欧州は300年ほど前から進めていたわけです。異なるのは日本には教会という宗教的な野心ある存在はなかったということだけです。

資本主義はある面、よく考えると不思議なシステムです。そこにあるのは信用というシステムで財貨が流れていくというシステムで、信用を得たものがそれによって莫大な財貨を借りることができ、株というこれも実体のないものによって多くの人から財貨を集めることができるシステムで、その前提は、常に経済は成長するということでした。

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 田中角栄元首相が在職時に「消費は美徳」といったのは、こうした成長が前提である資本主義の本質をよく言い当てています。同じ量を買うならより多くの人が、人の量が変わらないなら、一人当たりの消費量が増加しなければ、経済は成長しません。

でも人間は無駄なものは持ちたくないとか買いたくないという意識を常にもっています。それは人間も以前は他の動物たちと同じ原理原則に則った生き方をしてきたからでしょう。人間以外の動物は決して浪費しないのです。ライオンは、腹が満たされていれば目の前に大好物のインパラなどが通っても、何の興味もしめさないのです。おそらく割引セールをして無駄な買い物をするのは人間だけです。

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 しかし昔はそうではなかったのです。ホモ・サピエンスは他の動物より秀でた存在ではなかったから、得た獲物は大切に扱い、決して浪費することはなかったのです。そのDNAを我々も受け継ぎ、生理的に浪費に対する罪悪感があるのです。

 だから資本主義は、自らを正当化する理論を欲していました。そこに登場したのが英国の「アダム・スミス」であり、その理論を社会一般に広めたのが「国富論」です。

彼の国富論によって、資本主義に欠かせないのは成長であり、そのためには節約よりも消費が大切であることを、とうとうと記したのでした。ここに資本主義を擁護する理論が提示され、人類は罪悪感を感じることなく、消費に走ることができたのです。

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 人類とはつくづく面白い生き物であり、やっかいな生き物だと思います。すべての行為に意味を求めるのです。人生にも目的をもとめます。人生の目的を提示してそれに導こうとするのが宗教ですが、宗教にはあきたらず自分で人生の目的とは何かをを考える者もいます。ただいずれにしても、すべてのことに意味づけをして、それが自分の中で消化できれば、その大儀名分に殉じることもするのです。そうした上から意味づけされた行為にどれだけ多くの人間が死んでいったことでしょう。恐ろしいことです。

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 資本主義もアダムスミスの国富論によって晴れておすみつきを与えられ、人々はそれでものを買い、手持ちに金がなければお金を借り、消費することで成長に寄与したのです。そして欧州の国々が海の外まで出ていって、植民地化したのも欧州国家の成長がとまらないように行われたのでした。

しかし、そう簡単にはことは進みませんでした。その反動がその後おきて、世界はまた違った局面を迎えるのです。その話は次回に

 

№226📕欧州の支配のエンジンは科学そして技術

 お元気ですか。少年シニアです。帝国(おもに欧州)と宗教(おもにキリスト教)が、むすびついて、海を渡り物理的な暴力と宗教という精神の支配によって、世界のあちこちにあった多様な文化や人々を根こそぎ崩壊させたことは前回にふれたとおりです。この動きが本格化したのは、欧州の中での激烈な競争があったからです。欧州各国のいわゆる「自国ファースト」主義が、強い競争心となって少しでも自国が優位になるよう動き出したのです。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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 まず.世界に目をむけたのはスペインとポルトガルでした。コロンブスやマゼランなどの冒険家たちが、自然が豊かで、世界に自分たちよりテクノロジーの劣る、また集団のリーダーはいても国家組織ほどの結束力のない地域が多く存在することを国王に伝えたのです。特にイタリアに生まれたコロンブスは自らの野心を果たすため、隣国のポルトガルやスペインに航海のための資金提供を国王に働きかけました。その働きかけにのったのが、イザベル女王率いるスペインでした。

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 コロンブスの最大の貢献はアメリカ大陸という欧州にとっての金づるを発見したことでした。ですから欧州や米国ではコロンビアを英雄視している人たちもいるようです。日本人の私も小学生の時コロンブスは身の危険を顧みず海を渡り新大陸を発見した英雄として教えられた記憶があります。しかし、その実態を知れば知るほどコロンブスに対する嫌悪感が湧いてきました。コロンブスは先住民を奴隷化、物扱いし同じ人間として扱わず、私利私欲で動く倫理観のかけらもない人でした。(彼の肖像画を見るとそのような邪悪さがよく描かれています)

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 こうした未開人への差別の背景には自分たちが蓄積してきた科学技術への傲慢なほどの信仰があったように考えられます。帝国と宗教の物理的・精神的な支配の背景には、16世紀あたりから加速的に進んだ科学技術の存在があったのでした。

好奇心は大切です。コペルニクスガリレオなどのような天文学者は、たぐいまれな好奇心と想像力と知識で、宇宙の真理を発見し、決して地球はそれほど大した存在ではないことを命をかけて証明したのですから。

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 しかし、残念ながら彼らの知的好奇心から得られた真理、つまり自分たちは大きな宇宙の中では決して絶対的な存在ではないという発見は、人を謙虚にさせることにつながらず、キリスト教はその真理を受け入れず、逆に絶対的な存在になるための技術の開発に力を注ぐになりました。

よく科学技術というのは、セットで同じようなくくりで語られることが多いのですが、多くの科学者が科学と技術は別物だということを指摘しています。科学の目的は真理の追究であり、技術の目的は進歩と防衛です。あくまでも欧州の力の源は科学をベースにした技術でした。科学で得た知識を技術科し、武器や船舶をつくり、自らの行為を正当化するためにキリスト教会と連携しました。

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 当時のもう一つの大国中国は、その国力をもってすれば欧州同様、技術を開発・駆使して世界を支配できたかもしれません。しかし中国は自国の周辺だけにしか興味を示しませんでした。元の時代に東方まで遠征しその領土を拡大したものの、それはあくまでも遊牧民族の元という従来の中国とは異なる志向をもった部族の行為であり、その後、元が衰退すると中国は自分の周辺にのみ影響力を行使し、世界制覇のレースから遅れをとりました。逆に欧州での競争は激しく、その覇権はポルトガル・スペインからオランダ・ベルギーへ、その後は英国・フランスへと覇権がうつっていきました。

英国を中心に発展した産業革命はその中で必然的に発生したといえるでしょう。

 

しかし、そのエンジンは科学をベースとした技術だけではありませんでした。そこには資本主義というシステムが存在がありました。その話は次回に。

№225📕人類は物語で正当化し支配する術を知った

お元気ですか。少年シニアです。前回人間だけが虚構の物語をつくり。それを信じることによって、組織を維持し人々を支配する道具として活用することを述べました。当初は小集団単位に限定された神話にとどまっていましたが、次第に宗教(主に一神教)がその役割を果たすようになります。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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 そういう意味で最も大きな役割を果たしたのは、やはりキリスト教でしょう。キリスト教徒たちは、彼らの構築した世界を、自分たちの住むエリアに留めませんでした。どんどん全世界へ普及活動を行ったのです。ただ、その普及活動の背後には、暴力の存在がありました。ご存じの通り、キリスト教一神教です。他の宗教はいっさい認めません。マゼランが世界を周回し、フック船長が航海する過程で、彼らは武力によって先住民を殺戮、また管理化におき、自分たちのつくった物語を徐々に彼らに信じ込ませました。

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 その物語には一辺の真理があったのでしょう。また普及活動の中で、身にうまみに先住民に物質的な恩恵を与えたこともあったのでしょう。真剣にキリスト教の布教が先住民に幸福をもたらし、西洋化することが物質的な利益にもなると信じていた者もいたことでしょう。しかしそれはやはり欺瞞にすぎません。イスラム教や仏教も自分たちが住む周辺の地域への布教は、それなりに行っていたでしょう。しかし、キリスト教徒は、大海を横断するというリスクを背負ってでも、普及活動を行いました。しかしそれはキリスト教会だけの力学で行われたわけではありません。そんな資金を彼ら単独でまかなうことは不可能です。その背後には帝国という存在がありました。

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 帝国の物質的な利益と教会の精神的な利益とが結びつき、キリスト教の布教は、進んだ帝国の使命であり、それは野蛮な生活にとどまっている物質的にも精神的にも満たされていない先住民たちのためでもあるという物語をつくりだし、それを信じた人たちが大海を渡るというリスクをとらせたのです。もちろんダーウィンのように未知の世界や動植物を知りたいという好奇心から、航海に参加した者もいたでしょう。しかし、それは多くの未知の地域で悲劇を生み出しました。

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 オーストラリアでのタスマニア人たちは、西洋からの物質的・精神的な要求をすべて拒否して戦うということを選択して全滅しました。しかし、タスマニア人のように徹底抗戦した者たちはなく、数十年で侵略者の支配に屈してしまいました。侵略に参加した人々は、自分たちの崇高な使命を果たすことができ、大いに満足したことでしょう。

ほとんど人はそれらしい物語をつくられると安易に信じてしまい、権力の手先になってしまう怖さを感じます。それが、他の動物と違って、動物としての本能を弱め精神をもってしまった現生人類の進化のなれのはてとしても・・・。

 

 次回は、こうした帝国と宗教の二大権力が、いとも簡単に未開の地を支配できたそのバックボーンについて、私の所感も交え本書の著者ノア・ハラリの持論を紹介したいと思います。

 

 

№224📕神話という虚構を生み出した定住生活

お元気ですか。少年シニアです。前回現生人類の世界への拡散が、様々な動物(特に大型哺乳類)への絶滅につながったことを記しました。しかし、現生人類は、その後、狩猟生活から農耕と家畜をベースにした定住生活をはじめました。当初は農耕・家畜を主に生きる者と従来通り狩猟生活を主に生きる者も交じり合っていたと思いますが、次第に定住をベースにした農耕・家畜を生活の糧とする者が増えてきました。

この農耕・家畜の生活は現生人類の未来に大きな影響を与えました。まさに現生人類の岐路が、この農業・家畜の生活です。今回はこのことについてホモサピエンス史で書かれたことを主に話を展開させたいと思います。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

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   狩猟生活は、ある意味その日暮らしです。そのリーダーも短期的なことは考えても中長期的なことは考えていなかったでしょう。また群れも家族中心で、せいぜい10人から15人程度のグループで行動していたと考えられます。また、移動生活ですから、多くの子供は移動にある意味邪魔な存在なので、数年に一度しか子供を生まなかったようです。そのため狩猟生活が主の時代は人口の爆発は起きませんでした。確かに火を使い道具を使う現生人類は、他の動物にとって危険な存在であったにせよ、地球単位の生態系に影響を与えるような存在ではなかったでしょう。

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 しかし農耕や家畜の定住生活は違います。田畑を所有することで人はそう簡単に移動できなくなりました。例えば近くのグループと争いがあっても、勝てそうもないとわかっても簡単に移動するわけにはいきません。狩猟生活であれば、数少ない財産をもって退散して違うところに居を構えることができたでしょうが、最大の財産である田畑をそう簡単には放棄するわけにはいかないのです。こうして土地をめぐる小集団同士の暴力や争いが日常化します。そうなると戦いに勝つためのリーダーが求められ、戦うための武器が必要とされ、その武器をつくる専門集団が必要になります。またそうした道具を流通させる集団も必要となります。こうして小集団は次第に大人数の集団へと発展していきます。それが最終的には、帝国という巨大な組織へと発展していきます。

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 著者によると現生人類は虚構を信じることができる唯一の生物だそうです。狩猟で生活している時代にも一部の動物を崇めるアニミズムというものは存在しましたが、その規模は些細なものであり、その影響範囲は自分たちの身内の間に限られていたと思われます。ところが、定住生活がはじまり、そこに田畑を守る組織ができ、小集団が大集団になり最終的に帝国へとつながる過程で、これまで全くであったことのない者とも同じ価値観を共有し協力しあうための神話が必要となりました。

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 そして、そのために権力者側にいる人々は神話をつくり、その神話という虚構によって違う人々をあたかも同じ同胞かのように思わせコントロールしたのです。著者の言を借りれば今の株式会社も同じです。彼はブジョーという大会社を例に論を展開していますが、ブジョーでさえも実体はなく虚構の存在であると彼は断じます。私はいくらかの会社の株を売買していますが、同様のことを感じます。株価は毎日変動します。様々な要因で株価は変動しますが、昨日のその会社と今日のその会社に特に大きな変化がなくても株価が全く同じということはほとんどありません。何も変わっていないのに会社の総資産が変わるのです。そしていったんこの会社は危ないという風評がたつと実際の売上はそう悪くなくても株価は急落し、株価が急落すると売上や利益が減少するという悪循環に陥り、短期間で会社は消滅することもあるのです。

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この虚構を信じて大集団が一致協力しあうベースをつくったのは農業・家畜をベースとした定住生活だった。そのことを指摘した著者の視点には大変興味をもちましたし、腑に落ちる部分がありました。

次回も虚構を信じる現生人類についての特性について記したいと思います。

 

№223📕現生人類の誇りと罪について

お元気ですか。少年シニアです。

時々自分はホモサピエンス(現生人類)として生まれてきたことがよかったのかどうかわからなくなることがあります。近年出版された歴史書の中で一番の名著と言われている「ホモサピエンス史」を読むと、その思いがさらに大きくなりました。この著書に記された内容にそって人類の誇りと罪について、考えてみたいと思います。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

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 著書によると、現生人類が起こした事件の中で「オーストラリアへの上陸」をあげています。現生人類がオーストラリアに上陸したのは約4万5千年前。しかしこの上陸には大きな難関がありました。インドネシア諸島からオーストラリアに上陸するためには約200㌔にわたる海を渡らなければならなかったからです。これを実現するためにはそのハードルに耐えうるだけの船とそれを円滑に動かす航海技術が必要です。

今の我々がこの当時に舞い戻ったとしたら、そんなことができたでしょうか。我々は、約4万5千年前の我々の先輩より進化した知能の高い人類と思い違いをしていますが、おそらく個人の能力では、先輩より劣っているのではないかと私は思います。我々が昔の現生人類よりも様々ことができるのは、今まで人類が積み上げてきたインフラをたやすく利用できるからです。電力が使用できず水道がなければ一部の天才やサバイバル能力に優れた一部の人間しか生き残ることはできないでしょう。事実、知能と相関関係をもつ脳の容量は、以前より小さくなったとも言われています。

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 恐らく当時の現生人類は、200㌔を越える海を渡るに耐えるしっかりとした船をつくる製造技術と、それを運用する航海技術を持っていたのです。これは凄いことです。もちろん簡単にはいかなかったでしょう。船の脆弱さや航海技術の未熟さから多くの犠牲者が出たことでしょう。でも現生人類は船に改良を加え、航海技術の腕を磨き、ついに200㌔先のオーストラリアに船で渡ることに成功したのです。

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 ただ、それだけの能力をもっていた現生人類が、それを上回る悪徳をおこすことになります。現生人類が上陸した日からそれほど長い時間をかけずに、オーストラリアにいた動物を絶滅に追い遣ったのです。当時オーストラリアには200㌔もあるジャイアントカンガルーや2.5㌧もあるウォンバットや巨大なコアラや5㍍にも達するとかげなどが棲息していたといいます。それが、現生人類の格好の餌食になりました。最初に彼らが人類に遭遇した時、自分より小さな現生人類に格別な警戒感をもたなかったでしょう。それが致命的でした。

巨大な動物を捕まえれば、何日も現生人類たちの腹を満たすので、彼らが最大のターゲットになるのです。そして巨大な生物たちは、その大きさから繁殖力が弱く(強者なので多くの子を産む必要がない),数頭の死が絶滅の道につながってしまうのです。こうしてそれまで体重が50㌔以上あったオーストラリア大陸の動物の24種のうち23種が絶滅したのです。

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 中にはこの絶滅は現生人類のせいではなく当時の気候変動によって絶滅したと考える学者もいるそうですが、大きな気候変動は何回も繰り返されており、約4万年前後だけに起きた現象ではありません。これまでもそうした大きな気候変動をオーストラリアの動物たちは何とか凌いで絶滅を逃れていました。また現生人類が上陸した後に、動物が絶滅の危機にさらされたのは、オーストラリアだけではありません。ニュージーランドや太平洋諸島、また日本列島や沖縄諸島でも同様のことが生じているのです。

先日西表島を旅しましたが、西表猫が絶滅の危機に瀕したのはご先祖さまのせいであるということをガイドの方がおっしゃっていました。昔の島民は西表猫を食用にしていたのです。

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 こういったことから著者は、動物の絶滅に関して現生人類は有罪だと断定しています。私も客観的な事実を積み上げれば、著者の考えに同意せざるえません。

現生人類は、お互いが協力しあって集団の利益を守り、器用に手を使って技術を生み出すという画期的なことをしながらも、その自己中心性と長期的な視点にたてない短絡的な思考によって、他の動物を見境なく殺し絶滅させるという罪もおかしたのです。

これって、現在もそう変わっていないのはないでしょうか。現生人類は本当の意味での賢明さを進化させていないのではないかと疑わざるをえません。

そんなわけで私は自分が現生人類に生まれたことがよかったのか悪かったのかを自問自答しながら生き続けることになってしまったのです。

 

様々な気づきを与えてくれる「ホモサピエンス史」から学んだことを、今後数回にわたってご紹介し、自分の考えも述べてみたいと思っています。

№222📕魚とヒトのつながり

  あけましておめでとうございます。少年シニアです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も生命とは何か。人類とは何かを考えていきたいと思います。

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 昨年末、私はヒトと他の生命の違いについて考察しました。しかし、一方我々の身体を眺めると、やはり我々も他の動物との共通したものをかかえていることを認めないわけにはいきません。それが、全く住むエリアも呼吸の仕方も姿形の全く異なる魚であっても、多くの点で共通項があるのです。

 

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私がこれまでの生命の5大事件をあげろといわれたら、独断で次の5点を選択します。

①シアノバクテリアの誕生。これによって大気中の酸素比率が上昇し、生命が誕生する基盤ができた。

単細胞生物の中から、多細胞生物に進化するものがあらわれた。それ以降多彩な生命が誕生する基盤ができた。

③魚の中から肺呼吸をするものがあらわれ、さらに鰭を手足にかえ陸上に上陸した動物があらわれた。これにより一気に動物の棲息空間が拡大した。

④約2億年近く地球を支配していた恐竜が隕石の落下により絶滅した。これにより哺乳類の台頭の舞台が整った。

⑤霊長類の中からヒトという腕力に頼らず知能によって、創造力と想像力を駆使して、様々なテクノロジーを生み出し、地球全体を支配するとんでもない生命が誕生した。

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ただ、⑤は、①~④ということが起きていなければ、実現されなかったことを忘れてはいけません。その中には隕石の衝突という偶然もありますが、私が一番ここで注目したいのは、③の魚から陸へ上陸したパイオニアの存在です。

本書の著者は、そのパイオニア「ディクターリク」の化石の発見者です。彼は、魚類と両生類をつなぐ生物として鰭の骨格に注目しました。四肢をもつすべての動物は、その四肢が翼であろうと鰭であろうと手であろうと、共通のデザインをもっています。一個の骨(腕の場合は上腕骨 脚の場合は大腿骨)が、二個の骨と関節でつながり、その先に小さな骨の塊があり、指の骨につながっています。各々の四肢動物の形の違いは、骨の形の大きさと手首くるぶし及び指をつくっている骨の数の違いによるもので、基本構造は同じなのです。

そしてディクターリクの鰭の内部にその基本構造をもっていたのです。そして驚くべきはこれにより鰭を手首として使い地面に平につけて這うことができたのです。なぜそのような進化が起きたのか。本書の著者は、水中での激しい生存競争が謀らずも、陸上に活路を見出すしか選択がなかったのではないかと指摘しています。つまり、ディクターリクはファーストペンギンのような勇敢な存在ではなく、水中で生き延びることができなかった弱者だったのです。しかし、その弱者がその後の陸上動物の進化の道を開き、最終的に人類を生み出したのは皮肉というしかありません。

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もしかすると我々人類も木の上で他の猿に勝てず生き延びることができず木から降りざるをえなくなり、またアフリカを脱出した一部のホモサピエンスもアフリカで生き延びることができなくなったため、仕方なくアフリカを脱出して全地球に拡散していった弱者だったかもしれません。もしそうだとすれば、一見弱者である存在が新たな世界をきりひらくと言えるのではないでしょうか。

我々は、そういう意味で、同じ生命として水中で生き延びることができなかったディクターリクに、同胞意識をもつとともに深い感謝の念をもたなければならないのかもしれません。

 

 

№221📕なぜヒトだけが音楽を愛でるのか

お元気ですか。少年シニアです。前回、他の生命と一線を画すヒト特有の行動様式として遺伝子の自己複製の他に、コミュニケーションがもたらす快感の複製と拡散についてふれました。今回のお話しも前回の流れにそったものと考えています。

 

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 ウォ―クマンが世に登場したとき、猿がウォ―クマンで音楽を聴いて至福の時間を味わうかのような表情をするというCMが注目されました。しかし、実際は猿が音楽に何ら反応することはなく、他の霊長類も同様のようです。

つまり、ヒトだけが音楽を愛するのです。そしてそれは前回紹介した快感進化論にそって考えれば、音楽は、群れの各人の絆を強め、各個人に対しても快感を提供しているということになります。

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 確かに一次会で盛り上がると多くの人々は、さらに仲間との絆を深め、音から得られる快感を求めて二次会としてカラオケに行きます。音楽は人に快感を与えるのみならず時に人を勇気づけたり心を癒したりします。音楽は祭りや宗教活動といった人と人の絆を深めるものに欠かせないツールとして活用され、我々の思考に大きな影響を与えているのは、まちがいありません。

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どうしてヒトだけが、音楽を愛でるのでしょうか。それは、私はヒトが群れをベースに生きる動物がゆえに孤独を恐れるところからきているのではないかと推測します。もちろん読書のような文字や会話をベースにしたものも、孤独を癒します。しかし、それではおさまらない欲求がヒトに音楽をつくらせたのです。会話や詩に調べをのせて表現することで、より自分は一人ではないと感じることができるのです。そして、遂にはクラシックのような声のない、音だけで創造された文化も並行して創られるようになったのです。

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 孤独を癒すのは、同じヒトとの繋がりだけではありません。自分が自然や神などヒトを超えたものとつながることで孤独から逃れることができる、そうしたことが声のない音楽をも生んだのではないでしょうか。時には同じ群れの仲間とのつながりを強め、ときには自然や神といった自己や群れを超越したものとのつながりを強める、そうした効用をヒトは認めるからこそ音楽を愛するのではないかとい思います。

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 逆に言えばヒトと違う生命体には「孤独」という概念はなく、群れの形成についてもその方が生命を守ることができるという合理的な理由でおこなわれているのだと思います。だからあれだけ世話をしていた母親が、ある瞬間から子を自分のテリトリーから追放することができる。それはその方がお互いの生の維持に有利だからでしょう。その点ヒトは、子離れ親離れがなかなかできません。そこに孤独という状況が発生するからです。ですからこの世の中で一番非合理な生物はヒトといえると思います。

そうでなければ、双方が痛手を負う戦争を繰り返すようなことはしなかったと思います。ヒトは感情の過剰さによって、芸術も産み自分と無関係のヒトを助けるとともに、犯罪や戦争などで自分と無関係のヒトや他の生物に害を及ぼし殺戮してきたのです。

ヒトの存在は、もろ刃のやいばであることを感じざるをえません。

 

今年の本ブログは今回で終了、また来年よろしくお願いします。皆さま、よいお年をお迎えください。