少年シニア 55歳から学ぶ理科

生命のルーツを知ることは自分を知ること。生命の不思議で人生ワクワク致しましょう!

№227📕成長を前提とした資本主義の後押し

お元気ですか。少年シニアです。

欧州の世界制覇には帝国の存在と教会の連携があり、それを可能にしていたのは科学をベースとした技術であったことは前回ふれました。しかし、それだけではこのような大規模な海外への進出は困難でした。それは、資本主義というこれまでにない得体のしれないシステムであり、このシステムによって莫大な利益を得た大商人たちが、帝国の野望を支え、自らの野心を満たしたのでした。

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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  これは、明治政府が富国強兵と殖産興業を合言葉に東アジアに進出したのと同じです。政府は民間払い下げをして、ときの三菱や三井といった豪商が関与し、莫大な利益を得ていたのと同じ構造であり、それを欧州は300年ほど前から進めていたわけです。異なるのは日本には教会という宗教的な野心ある存在はなかったということだけです。

資本主義はある面、よく考えると不思議なシステムです。そこにあるのは信用というシステムで財貨が流れていくというシステムで、信用を得たものがそれによって莫大な財貨を借りることができ、株というこれも実体のないものによって多くの人から財貨を集めることができるシステムで、その前提は、常に経済は成長するということでした。

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 田中角栄元首相が在職時に「消費は美徳」といったのは、こうした成長が前提である資本主義の本質をよく言い当てています。同じ量を買うならより多くの人が、人の量が変わらないなら、一人当たりの消費量が増加しなければ、経済は成長しません。

でも人間は無駄なものは持ちたくないとか買いたくないという意識を常にもっています。それは人間も以前は他の動物たちと同じ原理原則に則った生き方をしてきたからでしょう。人間以外の動物は決して浪費しないのです。ライオンは、腹が満たされていれば目の前に大好物のインパラなどが通っても、何の興味もしめさないのです。おそらく割引セールをして無駄な買い物をするのは人間だけです。

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 しかし昔はそうではなかったのです。ホモ・サピエンスは他の動物より秀でた存在ではなかったから、得た獲物は大切に扱い、決して浪費することはなかったのです。そのDNAを我々も受け継ぎ、生理的に浪費に対する罪悪感があるのです。

 だから資本主義は、自らを正当化する理論を欲していました。そこに登場したのが英国の「アダム・スミス」であり、その理論を社会一般に広めたのが「国富論」です。

彼の国富論によって、資本主義に欠かせないのは成長であり、そのためには節約よりも消費が大切であることを、とうとうと記したのでした。ここに資本主義を擁護する理論が提示され、人類は罪悪感を感じることなく、消費に走ることができたのです。

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 人類とはつくづく面白い生き物であり、やっかいな生き物だと思います。すべての行為に意味を求めるのです。人生にも目的をもとめます。人生の目的を提示してそれに導こうとするのが宗教ですが、宗教にはあきたらず自分で人生の目的とは何かをを考える者もいます。ただいずれにしても、すべてのことに意味づけをして、それが自分の中で消化できれば、その大儀名分に殉じることもするのです。そうした上から意味づけされた行為にどれだけ多くの人間が死んでいったことでしょう。恐ろしいことです。

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 資本主義もアダムスミスの国富論によって晴れておすみつきを与えられ、人々はそれでものを買い、手持ちに金がなければお金を借り、消費することで成長に寄与したのです。そして欧州の国々が海の外まで出ていって、植民地化したのも欧州国家の成長がとまらないように行われたのでした。

しかし、そう簡単にはことは進みませんでした。その反動がその後おきて、世界はまた違った局面を迎えるのです。その話は次回に

 

№226📕欧州の支配のエンジンは科学そして技術

 お元気ですか。少年シニアです。帝国(おもに欧州)と宗教(おもにキリスト教)が、むすびついて、海を渡り物理的な暴力と宗教という精神の支配によって、世界のあちこちにあった多様な文化や人々を根こそぎ崩壊させたことは前回にふれたとおりです。この動きが本格化したのは、欧州の中での激烈な競争があったからです。欧州各国のいわゆる「自国ファースト」主義が、強い競争心となって少しでも自国が優位になるよう動き出したのです。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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 まず.世界に目をむけたのはスペインとポルトガルでした。コロンブスやマゼランなどの冒険家たちが、自然が豊かで、世界に自分たちよりテクノロジーの劣る、また集団のリーダーはいても国家組織ほどの結束力のない地域が多く存在することを国王に伝えたのです。特にイタリアに生まれたコロンブスは自らの野心を果たすため、隣国のポルトガルやスペインに航海のための資金提供を国王に働きかけました。その働きかけにのったのが、イザベル女王率いるスペインでした。

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 コロンブスの最大の貢献はアメリカ大陸という欧州にとっての金づるを発見したことでした。ですから欧州や米国ではコロンビアを英雄視している人たちもいるようです。日本人の私も小学生の時コロンブスは身の危険を顧みず海を渡り新大陸を発見した英雄として教えられた記憶があります。しかし、その実態を知れば知るほどコロンブスに対する嫌悪感が湧いてきました。コロンブスは先住民を奴隷化、物扱いし同じ人間として扱わず、私利私欲で動く倫理観のかけらもない人でした。(彼の肖像画を見るとそのような邪悪さがよく描かれています)

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 こうした未開人への差別の背景には自分たちが蓄積してきた科学技術への傲慢なほどの信仰があったように考えられます。帝国と宗教の物理的・精神的な支配の背景には、16世紀あたりから加速的に進んだ科学技術の存在があったのでした。

好奇心は大切です。コペルニクスガリレオなどのような天文学者は、たぐいまれな好奇心と想像力と知識で、宇宙の真理を発見し、決して地球はそれほど大した存在ではないことを命をかけて証明したのですから。

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 しかし、残念ながら彼らの知的好奇心から得られた真理、つまり自分たちは大きな宇宙の中では決して絶対的な存在ではないという発見は、人を謙虚にさせることにつながらず、キリスト教はその真理を受け入れず、逆に絶対的な存在になるための技術の開発に力を注ぐになりました。

よく科学技術というのは、セットで同じようなくくりで語られることが多いのですが、多くの科学者が科学と技術は別物だということを指摘しています。科学の目的は真理の追究であり、技術の目的は進歩と防衛です。あくまでも欧州の力の源は科学をベースにした技術でした。科学で得た知識を技術科し、武器や船舶をつくり、自らの行為を正当化するためにキリスト教会と連携しました。

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 当時のもう一つの大国中国は、その国力をもってすれば欧州同様、技術を開発・駆使して世界を支配できたかもしれません。しかし中国は自国の周辺だけにしか興味を示しませんでした。元の時代に東方まで遠征しその領土を拡大したものの、それはあくまでも遊牧民族の元という従来の中国とは異なる志向をもった部族の行為であり、その後、元が衰退すると中国は自分の周辺にのみ影響力を行使し、世界制覇のレースから遅れをとりました。逆に欧州での競争は激しく、その覇権はポルトガル・スペインからオランダ・ベルギーへ、その後は英国・フランスへと覇権がうつっていきました。

英国を中心に発展した産業革命はその中で必然的に発生したといえるでしょう。

 

しかし、そのエンジンは科学をベースとした技術だけではありませんでした。そこには資本主義というシステムが存在がありました。その話は次回に。

№225📕人類は物語で正当化し支配する術を知った

お元気ですか。少年シニアです。前回人間だけが虚構の物語をつくり。それを信じることによって、組織を維持し人々を支配する道具として活用することを述べました。当初は小集団単位に限定された神話にとどまっていましたが、次第に宗教(主に一神教)がその役割を果たすようになります。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

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 そういう意味で最も大きな役割を果たしたのは、やはりキリスト教でしょう。キリスト教徒たちは、彼らの構築した世界を、自分たちの住むエリアに留めませんでした。どんどん全世界へ普及活動を行ったのです。ただ、その普及活動の背後には、暴力の存在がありました。ご存じの通り、キリスト教一神教です。他の宗教はいっさい認めません。マゼランが世界を周回し、フック船長が航海する過程で、彼らは武力によって先住民を殺戮、また管理化におき、自分たちのつくった物語を徐々に彼らに信じ込ませました。

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 その物語には一辺の真理があったのでしょう。また普及活動の中で、身にうまみに先住民に物質的な恩恵を与えたこともあったのでしょう。真剣にキリスト教の布教が先住民に幸福をもたらし、西洋化することが物質的な利益にもなると信じていた者もいたことでしょう。しかしそれはやはり欺瞞にすぎません。イスラム教や仏教も自分たちが住む周辺の地域への布教は、それなりに行っていたでしょう。しかし、キリスト教徒は、大海を横断するというリスクを背負ってでも、普及活動を行いました。しかしそれはキリスト教会だけの力学で行われたわけではありません。そんな資金を彼ら単独でまかなうことは不可能です。その背後には帝国という存在がありました。

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 帝国の物質的な利益と教会の精神的な利益とが結びつき、キリスト教の布教は、進んだ帝国の使命であり、それは野蛮な生活にとどまっている物質的にも精神的にも満たされていない先住民たちのためでもあるという物語をつくりだし、それを信じた人たちが大海を渡るというリスクをとらせたのです。もちろんダーウィンのように未知の世界や動植物を知りたいという好奇心から、航海に参加した者もいたでしょう。しかし、それは多くの未知の地域で悲劇を生み出しました。

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 オーストラリアでのタスマニア人たちは、西洋からの物質的・精神的な要求をすべて拒否して戦うということを選択して全滅しました。しかし、タスマニア人のように徹底抗戦した者たちはなく、数十年で侵略者の支配に屈してしまいました。侵略に参加した人々は、自分たちの崇高な使命を果たすことができ、大いに満足したことでしょう。

ほとんど人はそれらしい物語をつくられると安易に信じてしまい、権力の手先になってしまう怖さを感じます。それが、他の動物と違って、動物としての本能を弱め精神をもってしまった現生人類の進化のなれのはてとしても・・・。

 

 次回は、こうした帝国と宗教の二大権力が、いとも簡単に未開の地を支配できたそのバックボーンについて、私の所感も交え本書の著者ノア・ハラリの持論を紹介したいと思います。

 

 

№224📕神話という虚構を生み出した定住生活

お元気ですか。少年シニアです。前回現生人類の世界への拡散が、様々な動物(特に大型哺乳類)への絶滅につながったことを記しました。しかし、現生人類は、その後、狩猟生活から農耕と家畜をベースにした定住生活をはじめました。当初は農耕・家畜を主に生きる者と従来通り狩猟生活を主に生きる者も交じり合っていたと思いますが、次第に定住をベースにした農耕・家畜を生活の糧とする者が増えてきました。

この農耕・家畜の生活は現生人類の未来に大きな影響を与えました。まさに現生人類の岐路が、この農業・家畜の生活です。今回はこのことについてホモサピエンス史で書かれたことを主に話を展開させたいと思います。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

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   狩猟生活は、ある意味その日暮らしです。そのリーダーも短期的なことは考えても中長期的なことは考えていなかったでしょう。また群れも家族中心で、せいぜい10人から15人程度のグループで行動していたと考えられます。また、移動生活ですから、多くの子供は移動にある意味邪魔な存在なので、数年に一度しか子供を生まなかったようです。そのため狩猟生活が主の時代は人口の爆発は起きませんでした。確かに火を使い道具を使う現生人類は、他の動物にとって危険な存在であったにせよ、地球単位の生態系に影響を与えるような存在ではなかったでしょう。

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 しかし農耕や家畜の定住生活は違います。田畑を所有することで人はそう簡単に移動できなくなりました。例えば近くのグループと争いがあっても、勝てそうもないとわかっても簡単に移動するわけにはいきません。狩猟生活であれば、数少ない財産をもって退散して違うところに居を構えることができたでしょうが、最大の財産である田畑をそう簡単には放棄するわけにはいかないのです。こうして土地をめぐる小集団同士の暴力や争いが日常化します。そうなると戦いに勝つためのリーダーが求められ、戦うための武器が必要とされ、その武器をつくる専門集団が必要になります。またそうした道具を流通させる集団も必要となります。こうして小集団は次第に大人数の集団へと発展していきます。それが最終的には、帝国という巨大な組織へと発展していきます。

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 著者によると現生人類は虚構を信じることができる唯一の生物だそうです。狩猟で生活している時代にも一部の動物を崇めるアニミズムというものは存在しましたが、その規模は些細なものであり、その影響範囲は自分たちの身内の間に限られていたと思われます。ところが、定住生活がはじまり、そこに田畑を守る組織ができ、小集団が大集団になり最終的に帝国へとつながる過程で、これまで全くであったことのない者とも同じ価値観を共有し協力しあうための神話が必要となりました。

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 そして、そのために権力者側にいる人々は神話をつくり、その神話という虚構によって違う人々をあたかも同じ同胞かのように思わせコントロールしたのです。著者の言を借りれば今の株式会社も同じです。彼はブジョーという大会社を例に論を展開していますが、ブジョーでさえも実体はなく虚構の存在であると彼は断じます。私はいくらかの会社の株を売買していますが、同様のことを感じます。株価は毎日変動します。様々な要因で株価は変動しますが、昨日のその会社と今日のその会社に特に大きな変化がなくても株価が全く同じということはほとんどありません。何も変わっていないのに会社の総資産が変わるのです。そしていったんこの会社は危ないという風評がたつと実際の売上はそう悪くなくても株価は急落し、株価が急落すると売上や利益が減少するという悪循環に陥り、短期間で会社は消滅することもあるのです。

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この虚構を信じて大集団が一致協力しあうベースをつくったのは農業・家畜をベースとした定住生活だった。そのことを指摘した著者の視点には大変興味をもちましたし、腑に落ちる部分がありました。

次回も虚構を信じる現生人類についての特性について記したいと思います。

 

№223📕現生人類の誇りと罪について

お元気ですか。少年シニアです。

時々自分はホモサピエンス(現生人類)として生まれてきたことがよかったのかどうかわからなくなることがあります。近年出版された歴史書の中で一番の名著と言われている「ホモサピエンス史」を読むと、その思いがさらに大きくなりました。この著書に記された内容にそって人類の誇りと罪について、考えてみたいと思います。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

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 著書によると、現生人類が起こした事件の中で「オーストラリアへの上陸」をあげています。現生人類がオーストラリアに上陸したのは約4万5千年前。しかしこの上陸には大きな難関がありました。インドネシア諸島からオーストラリアに上陸するためには約200㌔にわたる海を渡らなければならなかったからです。これを実現するためにはそのハードルに耐えうるだけの船とそれを円滑に動かす航海技術が必要です。

今の我々がこの当時に舞い戻ったとしたら、そんなことができたでしょうか。我々は、約4万5千年前の我々の先輩より進化した知能の高い人類と思い違いをしていますが、おそらく個人の能力では、先輩より劣っているのではないかと私は思います。我々が昔の現生人類よりも様々ことができるのは、今まで人類が積み上げてきたインフラをたやすく利用できるからです。電力が使用できず水道がなければ一部の天才やサバイバル能力に優れた一部の人間しか生き残ることはできないでしょう。事実、知能と相関関係をもつ脳の容量は、以前より小さくなったとも言われています。

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 恐らく当時の現生人類は、200㌔を越える海を渡るに耐えるしっかりとした船をつくる製造技術と、それを運用する航海技術を持っていたのです。これは凄いことです。もちろん簡単にはいかなかったでしょう。船の脆弱さや航海技術の未熟さから多くの犠牲者が出たことでしょう。でも現生人類は船に改良を加え、航海技術の腕を磨き、ついに200㌔先のオーストラリアに船で渡ることに成功したのです。

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 ただ、それだけの能力をもっていた現生人類が、それを上回る悪徳をおこすことになります。現生人類が上陸した日からそれほど長い時間をかけずに、オーストラリアにいた動物を絶滅に追い遣ったのです。当時オーストラリアには200㌔もあるジャイアントカンガルーや2.5㌧もあるウォンバットや巨大なコアラや5㍍にも達するとかげなどが棲息していたといいます。それが、現生人類の格好の餌食になりました。最初に彼らが人類に遭遇した時、自分より小さな現生人類に格別な警戒感をもたなかったでしょう。それが致命的でした。

巨大な動物を捕まえれば、何日も現生人類たちの腹を満たすので、彼らが最大のターゲットになるのです。そして巨大な生物たちは、その大きさから繁殖力が弱く(強者なので多くの子を産む必要がない),数頭の死が絶滅の道につながってしまうのです。こうしてそれまで体重が50㌔以上あったオーストラリア大陸の動物の24種のうち23種が絶滅したのです。

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 中にはこの絶滅は現生人類のせいではなく当時の気候変動によって絶滅したと考える学者もいるそうですが、大きな気候変動は何回も繰り返されており、約4万年前後だけに起きた現象ではありません。これまでもそうした大きな気候変動をオーストラリアの動物たちは何とか凌いで絶滅を逃れていました。また現生人類が上陸した後に、動物が絶滅の危機にさらされたのは、オーストラリアだけではありません。ニュージーランドや太平洋諸島、また日本列島や沖縄諸島でも同様のことが生じているのです。

先日西表島を旅しましたが、西表猫が絶滅の危機に瀕したのはご先祖さまのせいであるということをガイドの方がおっしゃっていました。昔の島民は西表猫を食用にしていたのです。

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 こういったことから著者は、動物の絶滅に関して現生人類は有罪だと断定しています。私も客観的な事実を積み上げれば、著者の考えに同意せざるえません。

現生人類は、お互いが協力しあって集団の利益を守り、器用に手を使って技術を生み出すという画期的なことをしながらも、その自己中心性と長期的な視点にたてない短絡的な思考によって、他の動物を見境なく殺し絶滅させるという罪もおかしたのです。

これって、現在もそう変わっていないのはないでしょうか。現生人類は本当の意味での賢明さを進化させていないのではないかと疑わざるをえません。

そんなわけで私は自分が現生人類に生まれたことがよかったのか悪かったのかを自問自答しながら生き続けることになってしまったのです。

 

様々な気づきを与えてくれる「ホモサピエンス史」から学んだことを、今後数回にわたってご紹介し、自分の考えも述べてみたいと思っています。

№222📕魚とヒトのつながり

  あけましておめでとうございます。少年シニアです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も生命とは何か。人類とは何かを考えていきたいと思います。

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 昨年末、私はヒトと他の生命の違いについて考察しました。しかし、一方我々の身体を眺めると、やはり我々も他の動物との共通したものをかかえていることを認めないわけにはいきません。それが、全く住むエリアも呼吸の仕方も姿形の全く異なる魚であっても、多くの点で共通項があるのです。

 

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私がこれまでの生命の5大事件をあげろといわれたら、独断で次の5点を選択します。

①シアノバクテリアの誕生。これによって大気中の酸素比率が上昇し、生命が誕生する基盤ができた。

単細胞生物の中から、多細胞生物に進化するものがあらわれた。それ以降多彩な生命が誕生する基盤ができた。

③魚の中から肺呼吸をするものがあらわれ、さらに鰭を手足にかえ陸上に上陸した動物があらわれた。これにより一気に動物の棲息空間が拡大した。

④約2億年近く地球を支配していた恐竜が隕石の落下により絶滅した。これにより哺乳類の台頭の舞台が整った。

⑤霊長類の中からヒトという腕力に頼らず知能によって、創造力と想像力を駆使して、様々なテクノロジーを生み出し、地球全体を支配するとんでもない生命が誕生した。

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ただ、⑤は、①~④ということが起きていなければ、実現されなかったことを忘れてはいけません。その中には隕石の衝突という偶然もありますが、私が一番ここで注目したいのは、③の魚から陸へ上陸したパイオニアの存在です。

本書の著者は、そのパイオニア「ディクターリク」の化石の発見者です。彼は、魚類と両生類をつなぐ生物として鰭の骨格に注目しました。四肢をもつすべての動物は、その四肢が翼であろうと鰭であろうと手であろうと、共通のデザインをもっています。一個の骨(腕の場合は上腕骨 脚の場合は大腿骨)が、二個の骨と関節でつながり、その先に小さな骨の塊があり、指の骨につながっています。各々の四肢動物の形の違いは、骨の形の大きさと手首くるぶし及び指をつくっている骨の数の違いによるもので、基本構造は同じなのです。

そしてディクターリクの鰭の内部にその基本構造をもっていたのです。そして驚くべきはこれにより鰭を手首として使い地面に平につけて這うことができたのです。なぜそのような進化が起きたのか。本書の著者は、水中での激しい生存競争が謀らずも、陸上に活路を見出すしか選択がなかったのではないかと指摘しています。つまり、ディクターリクはファーストペンギンのような勇敢な存在ではなく、水中で生き延びることができなかった弱者だったのです。しかし、その弱者がその後の陸上動物の進化の道を開き、最終的に人類を生み出したのは皮肉というしかありません。

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もしかすると我々人類も木の上で他の猿に勝てず生き延びることができず木から降りざるをえなくなり、またアフリカを脱出した一部のホモサピエンスもアフリカで生き延びることができなくなったため、仕方なくアフリカを脱出して全地球に拡散していった弱者だったかもしれません。もしそうだとすれば、一見弱者である存在が新たな世界をきりひらくと言えるのではないでしょうか。

我々は、そういう意味で、同じ生命として水中で生き延びることができなかったディクターリクに、同胞意識をもつとともに深い感謝の念をもたなければならないのかもしれません。

 

 

№221📕なぜヒトだけが音楽を愛でるのか

お元気ですか。少年シニアです。前回、他の生命と一線を画すヒト特有の行動様式として遺伝子の自己複製の他に、コミュニケーションがもたらす快感の複製と拡散についてふれました。今回のお話しも前回の流れにそったものと考えています。

 

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 ウォ―クマンが世に登場したとき、猿がウォ―クマンで音楽を聴いて至福の時間を味わうかのような表情をするというCMが注目されました。しかし、実際は猿が音楽に何ら反応することはなく、他の霊長類も同様のようです。

つまり、ヒトだけが音楽を愛するのです。そしてそれは前回紹介した快感進化論にそって考えれば、音楽は、群れの各人の絆を強め、各個人に対しても快感を提供しているということになります。

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 確かに一次会で盛り上がると多くの人々は、さらに仲間との絆を深め、音から得られる快感を求めて二次会としてカラオケに行きます。音楽は人に快感を与えるのみならず時に人を勇気づけたり心を癒したりします。音楽は祭りや宗教活動といった人と人の絆を深めるものに欠かせないツールとして活用され、我々の思考に大きな影響を与えているのは、まちがいありません。

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どうしてヒトだけが、音楽を愛でるのでしょうか。それは、私はヒトが群れをベースに生きる動物がゆえに孤独を恐れるところからきているのではないかと推測します。もちろん読書のような文字や会話をベースにしたものも、孤独を癒します。しかし、それではおさまらない欲求がヒトに音楽をつくらせたのです。会話や詩に調べをのせて表現することで、より自分は一人ではないと感じることができるのです。そして、遂にはクラシックのような声のない、音だけで創造された文化も並行して創られるようになったのです。

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 孤独を癒すのは、同じヒトとの繋がりだけではありません。自分が自然や神などヒトを超えたものとつながることで孤独から逃れることができる、そうしたことが声のない音楽をも生んだのではないでしょうか。時には同じ群れの仲間とのつながりを強め、ときには自然や神といった自己や群れを超越したものとのつながりを強める、そうした効用をヒトは認めるからこそ音楽を愛するのではないかとい思います。

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 逆に言えばヒトと違う生命体には「孤独」という概念はなく、群れの形成についてもその方が生命を守ることができるという合理的な理由でおこなわれているのだと思います。だからあれだけ世話をしていた母親が、ある瞬間から子を自分のテリトリーから追放することができる。それはその方がお互いの生の維持に有利だからでしょう。その点ヒトは、子離れ親離れがなかなかできません。そこに孤独という状況が発生するからです。ですからこの世の中で一番非合理な生物はヒトといえると思います。

そうでなければ、双方が痛手を負う戦争を繰り返すようなことはしなかったと思います。ヒトは感情の過剰さによって、芸術も産み自分と無関係のヒトを助けるとともに、犯罪や戦争などで自分と無関係のヒトや他の生物に害を及ぼし殺戮してきたのです。

ヒトの存在は、もろ刃のやいばであることを感じざるをえません。

 

今年の本ブログは今回で終了、また来年よろしくお願いします。皆さま、よいお年をお迎えください。

 

 

№220📕ヒトがヒトたるものとは何か

 お元気ですか、少年シニアです。今回のテーマは今私が一番模索しているものです。それは、ヒトが他の動物と異なっているところは何かということで、それがどういうところから発生し、そのことが地球の未来にどういう影響を与えるかということです。本書はその入口として読みましたが、「快感」という言葉でその疑問に答えています。

快感進化論―ヒトは音場で進化する

快感進化論―ヒトは音場で進化する

 

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 ヒトは国家を形成し政治や文化活動を行います。また国境を越えて共同体(宗教組織や会社など)をもちます。そして国家をはじめとする共同体のためには自らの生命を犠牲にすることもあります。これは蟻のように本能に基づくものではなく、ときには共同体の強い要請でなくとも要請に応じて、また自らの意思で犠牲になる場合もあります。

また個人レベルでも一定の倫理規範をもち、ときには、家族を救う場合に限らず、強い倫理観からこれまで会ったこともない者を救うために生命を失うリスクを冒すこともあるし、自らの嗜好のために生命を失うリスクを冒す(冒険家等)こともあります。

こんな行為は、他の生命にはないことです。

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 生物学者のリチャードドーキンスは、人の肉体は遺伝子の単なる乗り物であって、自らの遺伝子を引き継いでいくことが生命体の願いだと主張しました。遺伝子の自己複製こそが、生命の目的であるとしたのです。

確かに他の動物はそのために仲間と戦い生殖行為の機会を待ちます。戦いに負けた者もそう簡単には引き下がらず、様々な方法で再び生殖の機会を待ちます。また戦いだけでなく、鮭の雄などは川の流れに逆って泳いでまで、上流にいる雌のもとを目指します。

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 そうした生命に較べると、ヒトはそこまで自分の遺伝子の自己複製の継続に対する執念はないと思います。もちろん自分の血をひく子は欲しいけれど自分の遺伝子を世に残そうとして様々な行動をとっているわけではないように見えます。中には将来1人で生きて家族をもたないという人もいるし、好きな人がいても結婚しない、子をあえて生まないという人もいます。また、好きな異性を巡ってライバルと命を懸けて決闘する人もほとんどいません。これは、どうしてなんでしょうか。

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 それは、ヒトが自己の遺伝子を複製することだけを価値と考えず、それとはまた違ったものを複製することにも価値をおいているということに他なりません。それを本書の著者は「快感進化論」と記しています(実際その名称をつけたのは栗本慎一郎)。

自己の行動で得られた快感意識を脳に複製し、それを他の人と共有し、それを後世に引き継いでいく。それを価値とすることがヒトならではの特長だと著者はいうのです。そのため、ヒトは群れを作り、その群れの中での力を強めることに快感を感じるのだと。

そのために仲間内でどれだけよいコミュニケ―ションができるのかを優先し、そうしたヒトが皆から認められる。認められた者はそれによって快感を得、選んだ方も自分が評価したものがリーダーになることで快感を得る。群れの文化や宗教はそうして長きにわたり継続され、群れを構成するヒトによって引き継がれていくというのです。だからヒトに一番大切な力は高いコミュニケーション能力であって、他の動物のような腕力ではないということになります。仲間に快感を与える声質や話し方はとても重要な要素になります。

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 ヒト以外も声を発しますが、それは快感を与えるためではなく仲間に敵の襲来を知らせたり喧嘩をするときなどに発し、ヒトの祭りのように快感を共有する場で声を発することはありません。ヒトが音楽やおしゃべりが好きで、その輪をさらに広げようとするのは、そのことで自らの快感を複製し他の者たちとそれを共有したいからです。

ヒトには遺伝子を引き継ぐという生命共通の価値以外に、そのような快感を増幅させたいという他の生命体にはない価値も重視しているので、遺伝子の複製・引継ぎにそこまで価値をおかないと考えられます。

私自身三人の子持ちではありますが、自分の遺伝子を残したいと思って結婚し子供を産む生き方を選択したわけではありません。子供がいた方がにぎやかで楽しいだろうという、どちらかといえば快感を重視して選択したように思います。

 

 この快感進化論は、かなり意見の分かれる仮説ではあるでしょうが、私自身はこの説には、なかなかの説得力があると思って読了しました。

№219📕人類は今後どう進化していくのか

お元気ですか。少年シニアです。「基本的な人類の進化はもう数百万年に終わった」と考える学者と「いまだに人類は進化している」と考えている学者がいることを、前回お伝えしました。

皆さんはどう思いますか、私は「人類はいまだに進化している」派です。

 

ヒトは今も進化している 最新生物学でたどる「人間の一生」

ヒトは今も進化している 最新生物学でたどる「人間の一生」

 

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 私がそう思うのは、この20~30年前から進行しているIT技術からAI技術の進歩にいたる流れです。もうITという言葉も死語になりつつあり、今はAIという言葉が世の中に蔓延しています。AIの凄さを私がひしひしと感じたのは、コンピュータが人間に勝つのは不可能と言われた複雑な将棋で、AIが人間の名人に勝ったことです。そして一度、AIが人類を追い越せば二度と人類が抜き返すのは難しいだろうと言われています。

AIの勝利はプロ棋士の練習方法を大きく変えました。AIならこの時どんな手を指すのだろうかということを確認するようになったのです。そしておそらくAIの進歩は人類の脳の進化に大きな変化をもたらすことでしょう。前頭葉部分が大きくなっているのが霊長類、とりわけ人類と他の動物とを区別する器官ですが、AIの進歩が、この前頭葉をどう進化させるのかが、人類の運命に大きな影響を与えるでしょう。

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 AIにたよって人類は退化していくことも考えられますし、AIの活用を考えることでより創造力を強めていくことも考えらえます、また、IT社会の到来が、ITに強い、またその効用を理解できた人間と弱い人間に大きな経済的な力の格差をもたらしたように、AIに関しても同様に、それを巧みに活用するひとは、優位な立場にたてるでしょう。ダーウィンの唱えた「自然選択」がおきていているのです。

IT社会にもAI社会にもついていけていない、また幾分懐疑的な私などは、今後も人よりも大きな不利益をうけながらいきていくのでしょう。まあ、それでもリターンが大きいことは原則リスクも大きいので、そのことによって被害をうけずにすんでいるということもあるのかもしれません。

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きたるべきAI社会は、IT社会よりも格段に大きな影響を人類に与えるということは私にも理解できます。AIで車が完全自動運転化されれば、今問題になっている「あおり運転」をしようにもAIが適正な車間距離をとるでしょうから自動的に解決するでしょうし、年齢にかかわらず車を使うので高齢化による自動車事故や、不注意による自己もなくなるでしょう。これはすばらしいことです。

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ある番組ではAIが小説など芸術分野にも進出するだろうと言っていましたが、おそらくそれは可能でしょう。ただ正直、それによって人が感動するという芸術の最大の恩恵を受けることはできないでしょう。例えば将棋においても前述したように、コンピュータは最強の将棋棋士よりも強くはなりましたが、そこに人間と人間が対峙するドラマは生まれませんから、面白くありません。天才同士が戦っても人間ですからミスをします。そのミスが勝敗を左右するのですが、それがあるからゲームやスポーツは楽しいのです。また未熟な人間が高度な芸術作品を創作するから感動するのです。したがってAIはいかに人類の未熟さが悲劇をもたらすものにうまく活用するべきでしょう。

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いずれにしてもホモサピエンスから次なる人種は必ずいつか現れます。「ホモサピエンス史」で名を轟かせたユヴァル・ノア・ハラリ氏はそれを「ホモ・デウス」と名付けましたが、大変な時代が到来したものです。その進化が自然の逆鱗にふれずに調和することを願ってやみません。

№2⒙📕人類の進化は停滞しているか加速しているか

お元気ですか。少年シニアです。約1億年前は、現生人類にとって大きな分岐点になった時代だと言われています。アフリカを出て世界へ拡散し終わったのが、約1億2千万年前、南極や太平洋の孤島以外は、ほぼ人類が住みつくようになって、独自のものづくりや文化をつくっていきました。その独自性で一番ポイントになったのは、その生活拠点の地形や風土でした。それによって、大きく発展していった人類たちもいたし、そうでない人類たちもいて、差がつくようになり現在に到っています。そのため現生人類の進化のプロセスも変わっていかざるをえなかったのです。今回は、そんな進化の違いに焦点を当ててみたいと思います。

 

一万年の進化爆発 文明が進化を加速した

一万年の進化爆発 文明が進化を加速した

 

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 1万年前、ポイントになったには何といっても農耕でした。農耕をしていたかしていなかったで進化の状況に差異が生まれたのです。

まず農耕がもたらした最大の恩恵は人口の増加でしょう。人口が増加すれば、有益な進化の可能性の大きく広がります。進化を促進する突然変異の可能性も高くなるからです。初期の農民は狩猟採集民よりも平均身長は約12センチ以上低かったと言われれいます。米や麦を食べる比率が高まり肉や魚などの動物性タンパク質をとる率が小さくなったからです。農耕は食料の安定的な確保という意味では、人類に多大な恩恵をもたらしましたが、個々の力を弱めてしまったのです。そのため多くの人たちが病にかかっていったと言われています。例えばアメリカ大陸ではトウモロコシの摂取によって虫歯が増え、鉄分の欠乏による貧血が増えました。また集団生活による感染リスクも高まりました。

しかし、徐々に長い時間をかけてこうした貧血に対応する遺伝子をもつ者があらわれ、その人たちの数が増え、貧血しない人類に進化していきました。課題は進化を促進させるのです。

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 またこうしたタンパク質不足を解消するために、違う形で解決した人類もいます。家畜の推進です。牛から乳糖を安定的に摂取することができるようになりました。約8000年前、ヨーロッパのある地域でおこなった家畜化は一気にヨーロッパ全土に拡大し、ヨーロッパに住む人々の進化に影響を与えました。

そしてよく言われるのが紫外線を受ける量とビタミンⅮの関係です。ビタミンⅮは紫外線を浴びることで作られるため、太陽光の弱い区域にすむ極寒地域の人々は、ビタミンⅮ不足による骨の異常(くる病など)が発生します。そのためこれらの地域に住む人々はより太陽光を浴びやすい白い肌をもつ者が有利となり、最終的に白い肌の人々が多数を占めるように進化していきました。逆に高い紫外線をあびる熱帯地方に住むものはメラニン色素をもち、紫外線を吸収しづらくしていきました。

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 著名な生物学者であるグドールは「この4~5万年のあいだに、人類には生物的変化は全く見られなかった。私たちが文化や文明と呼んでいるものはすべて、同じ肉体と頭脳の上に築かれたものである」と公言している。本著者はこの考えと全く逆で、人類の生物的側面での進化はむしろますます加速しているといっています。

以前「新人類」などの造語がはやったことがありましたが、精神的や考え方など心のうちのみならず生物学的な差異は加速して、そのうち種もわかれて、同じ人類でも交配しても子ができないぐらいの差異にまで発展していくのでしょうか。

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 人類の将来はどうなるのでしょうか。動物でも住む地域や環境によって様々な種に枝分かれしたものもあるし、そうでないものもいます。はたして我々はどちらの方向に進んでいくのでしょうか。興味はつきません。